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[ニュースpickup]10万ウォン札保留 本当の理由? ‘アカい金九が嫌いだから’

記事入力:2008-11-14午後03:24:14
 
右翼勢力の‘白凡嫌悪’…その古めかしい未来

キム・ジンチョル記者キム・ミョンジン記者

←10万ウォン札暗殺指令…標的は‘金九狙撃
 グラフィック ホン・ジョンギル記者jonggeel@hani.co.kr

「独島が抜けている大東輿地図」はただの言い訳
韓国銀行関係者も告白「ニューライト・大統領府が図案の白凡に嫌な表情」
「金九=アカ,李承晩=建国の父」
政権交替後公式化された‘ニューライト歴史工程’
右翼らの念願はすでに半分ぐらいかなえられた

歴史の勝負はまだ終わらないのだろうか

白凡金九先生が亡くなって58年、そして雲南李承晩前大統領は亡くなって43年になった。しかし二人の対決は相変らず続いている。南北共同政府樹立を主張した白凡が暗殺で生を終えた反面、雲南は米国の支援で韓国単独政府を樹立して初代大統領になり政治的勝者となった。だが雲南の栄華は長続きしなかった。歴史の勝者は金九であった。李承晩は国民が革命により権力の座から追い出した独裁者に転落し、金九は韓国人らが最も愛する民族の英雄となった。

最近この歴史的勝敗を覆そうとする動きが少しずつ姿を現している。民族主義者の模範に選ばれてきた白凡の評価を下げる代わりに李承晩を褒め称えようとする流れが感知されている。韓国極右勢力の「金九失脚-李承晩興し」歴史工程が保守政権の執権ではずみをつけた模様だ。金九肖像が入ることになっていた10万ウォン札発行が、最近電撃的に留保されたのがその信号弾になる兆しだ。


“独島は言い訳,結局は金九のためだ”

10日韓国銀行と企画財政部とは「政府の要請で10万ウォン札発行作業を留保する」と明らかにした。ひとまず表向きの理由は裏面に入る大東輿地図に独島が表記されていないためだと言った。反面5万ウォン札発行は順調に進行中だ。

しかし政府と韓国銀行の釈然としない決定のために10万ウォン札発行を留保した本当の理由が金九の肖像のためでないかという疑惑が強くなっている。 「公開的に話すことはできない色々な複雑な事情もある」というカン・マンス長官の発言は疑問をより一層大きくした。イ・ソンテ韓国銀行総裁もやはり「発行中断を要請した政府からどのようにするのかに対して通知が来ない」という言葉だけを繰り返している。

実際、韓国銀行はすでに2ヶ月前の9月から10万ウォン札関連作業を中断した。匿名を要求したある関係者は「大東輿地図筆写本に独島が出ているのでこれを参考にして描くとすでに決めたが政府が中断させたこと」とし「独島は言い訳で本当の問題は金九だと皆見ている」と語った。「“ニューライトと大統領府側では金九を嫌っているためのようだ。作業を中断しておき発表時点を遅らせたことは国政監査でのイシューにしたくないから先送りしたのだ。」

実際、カン・マンス企画財政部長官は10日国政監査質問で留保方針を明らかにする前の先月23日国政監査でも「まだ公式に話す状況ではないが、5万ウォン札・10万ウォン札発行と関連して、10万ウォン札は急ぐ必要はないようだ」として「経済事情が難しいうえに事実上5万ウォン札を発行すればほとんど足りるので、10万ウォンまで発行する必要があるかという考え」と暗示した。

このために、白凡追慕団体らと野党では政府が金九をさげすもうとする右翼団体らと歩調を合わせているのではないかという疑惑を提起している。先月14日、保守団体らが韓国銀行の前で「10万ウォン札は李承晩,5万ウォン札は朴正熙」という主張を掲げてデモを行った二日後、韓国銀行が「10万ウォン札発行延期検討」を公式発表したためだ。白凡金九先生記念事業会関係者は「ニューライトが騒ぐから政権が紙幣人物を李承晩,パク・チョンヒに変えようとして延期しているのではないか」として「当初からそちら側では反対してきたものの国民的合意になったことについて政権が変わるや話が変わってきている」と語った。


右翼 白凡が左翼だと?

白凡は代表的な右翼人物と評価される。だがニューライトをはじめとする韓国の右翼は解放以後ずっと「金九ポビア」(‘金九恐怖症’,金九+病的な嫌悪という意の単語‘phobia’)と言われる程、金九に対する敵対的立場を堅持してきた。昨年、10万ウォン札の肖像に白凡金九が選ばれた時も強く反対し、政権交替以後、反対世論を広めるためにより一層努力してきた。

韓国右翼らは何のために白凡を敬遠するのだろうか? まず挙げられる理由は白凡が右派のように見えるが、実は左派だという見解だ。 宇南李承晩研究会会長であるイ・ジュヨン建国大史学科名誉教授は2006年9月「親北朝鮮反国家行為真相究明委員会」主催のセミナーで韓国の左派を△マルクス-レーニンに基盤をおくグループ△伝統的・土着的勢力△米国・ヨーロッパで博士を受けて来たグループに区分したことがある。イ教授はここで伝統的・土着的左派が韓国左派の主流だし、丁若鏞 -全琫準-金九-金大中と受け継がれていると規定した。

また白凡が韓国単独政府樹立よりは韓国・北朝鮮統一政府を望み、北朝鮮を合わせようとしたという点を批判する見解もある。左翼ではないが、左翼と連帯しながら金日成を支援したという主張だ。チ・マンウォン社会発展システム研究所所長(軍事評論家)は「金九が左翼だと言うのははばかられるが、北朝鮮政権樹立に一助となり、また北朝鮮で統一章も受けとった」として「48年には北朝鮮に行き北朝鮮政権を称賛する演説もした」と主張した。

白凡が意識的に左翼を支援したのではないが左翼に利用されたという意見もある。ヤン・ドンアン韓国学中央研究員教授は「白凡は明確な右翼だが左翼と連帯したことは事実」とし、「北朝鮮人民委員会がすでに作られて韓国まで共産化しようとする状況で,こういう状況を正確に認知できなかった」と語った。


歴史学界,「白凡をアカにするな」

右翼らが白凡を左派偏向と見なすのに対して、歴史学界ではとんでもない話だと反論する。これは保守学者らも同様だ。白凡学術院長のシン・ヨンハ梨花女子大客員教授は金九が解放政局で「右翼の領袖」だったことは否めない事実だと言い切った。「白凡が北進統一に反対して平和統一のための交渉を試みたために左翼と見る場合があるが、これは一生涯右翼だった白凡にはとんでもない汚名」と言った。

シン教授は「白凡が当時としては民族主義者だったが李承晩博士は韓国単独政府を先に樹立して北進統一をしようという路線であったのに対し、白凡は残酷な内戦を呼び起こすから初めから統一政府で建国しようという立場だった」として「このために北側と交渉をしてみようということであり、当時、韓国民族多数の願いも同じようなものだった」と語った。

キム・サムウン前独立記念館長も「白凡は47年、分断勢力の反対を押し切って最後まで分断を防いで統一政府を樹立するために北行を決断した」としながら「これは臨時政府の時から主張してきたことで,左翼に利用されたのでも金日成を支援したのでもない」と強調した。

だが白凡を左翼と見る側では、金九が李承晩を牽制するために建国に反対したと主張する。イ・ジュヨン教授は「白凡と雲南は利害関係が違っても解放の後の反信託統治運動などでは路線が一致したが、47年末、李承晩博士が(政治的に)有利になる中で白凡が立場を明確にしなければならなくなり李承晩と分かれ金奎植と手を握ることになった」とし「白凡は南北が完全に分断されると言い建国に反対したのだ」と説明した。


なぜ右翼金九にアカ呼ばわりが始まったか

右翼らが白凡を牽制するのは、白凡を絶対に嫌いだと言うよりは李承晩・朴正熙前大統領を右翼の象徴として奉りたいためという分析もある。建国節論議で露わになったように、左右が共に作ってきた独立運動の伝統性より光復(解放)以後、「建国」に照準を合わせて右翼中心の現代史を再構成したい右翼らが建国の父として李承晩と朴正熙を前面に出そうとするということだ。

<白凡逸志>の編集を進めたト・ジンスン昌原大教授はこういう両側の見解の間で均衡評価を試みる。「70年代以前までは独立運動の右派的代表としての金九だけが宣揚の対象になった。そのうちに70年代ペク・キワン・ムン・イクファンなどが金九の後半期,統一で終えた人生に注目した」と金九研究の流れを説明した。ト教授は「金九を批判できる部分は、むしろ独立運動に於いて韓・中・日程度を越える思考を積極的にしてみたことが殆ど見られないという点」と指摘し「冷徹な現実主義的政治感覚を持った現実主義者の立場からはロマン主義的だと批判できるだろう」と評した。ト教授は「金九がぶち当たった壁は、当時韓半島が国際政治と垣を作っては、どれほど趣旨が良いとしても生かしにくいということだが、こういう面で李承晩はとても卓越した面があったことを否めない」と付け加えた。


政権交替後の風に乗る「李承晩 再擁立」

白凡に対する忌避とかみ合った雲南に対する再評価の動きは、今年イ・ミョンバク政権スタートと建国60周年をむかえて右翼陣営から活発に提起されている。ひとまず右翼らは今回の論議になった紙幣の人物選定と銅像建立とを李承晩再評価の象徴的作業として成し遂げるという構想だ。李承晩銅像を建設し、彼の政治功績を知らせる一方、紙幣の人物も金九から李承晩に変えなければならないということだ。

こういう一連の流れは、保守言論が先にイシューを提起し保守団体たちが言論の主張を受けて声を高めるという形で呼応を成し遂げながら進行中だ。着実に李承晩再評価を主張してきた<朝鮮日報>は今年の初め、李承晩銅像が現在国内に3ヶしかないと指摘しつつ雲南を‘建国大統領’として再評価しなければなければならないと主張した。
続いて今年6月にはペジェ大では6月民主抗争で撤去された李承晩銅像が論争を引き起こしながら再び建設された。李承晩前大統領が1900年ペジェ学堂を卒業したことを賛える銅像だ。そして8月15日ニューライト全国連合など保守団体らは「李承晩,建国大統領に対する汎国民感謝フォーラム」を開き、李承晩銅像建立事業を繰り広げると宣言した。

代表的右翼団体である韓国自由総連盟も、これらとは別に李承晩銅像建立運動を始めた。自由総連盟はソウル,南山自由センター内に来年、李承晩銅像をたてることにし予算10億ウォンを確保するために会員たちを相手に寄付募金運動を行っている。

紙幣人物論議に始まった後代の政治ゲームは今後は銅像に移して2ラウンドを広げる兆しだ。

キム・ジンチョル記者nowhere@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/specialsection/newspickup_section/321747.html

原文:
翻訳:J.S