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「北派工作員」にさせられた6歳の息子を救うため 北朝鮮の「南派スパイ」になった父親

登録:2014-07-14 00:56 修正:2014-07-17 07:39
1955年、工作員として北に派遣されたが逮捕され
息子を救うため南に帰って自首
だが、韓国陸軍は偽装スパイの汚名を着せて死刑執行
裁判所「軍が違法捜査…3億ウォン(約3000万円)を賠償せよ」
1953年7月の休戦以来、韓国当局によって北側地域に派遣され、北朝鮮当局に拘束されたり死亡・失踪した工作員の数は7726人に達する。 1950年代末まで活動した陸軍諜報部隊第1教育生たち。 //ハンギョレ資料写真

 1955年6月に韓国陸軍諜報部隊に雇われたシム・ムンギュ(当時30歳)氏は、北朝鮮に潜入する「北派スパイ」の訓練を受けた後、同年9月に北朝鮮に派遣された。当時6歳だったシム氏の息子は、父親に面会するため、母方の叔母とともに江原道(カンウォンド)高城郡(コソングン)花津浦(ファジンポ)にある部隊を訪ねたが、父親は北に送られた後だった。 部隊は子供を家に送り返さず、「北派工作員」として育てるため1年半にわたり、射撃訓練、軍規訓練、水上訓練などを受けさせた。

 北朝鮮軍に捕まったシム氏は、自分の息子が韓国軍で工作員訓練を受けていると知らされる。息子を救うためには韓国に戻らなければならず、彼には転向して「南派スパイ」になる以外に選択肢はなかった。1957年10月に北朝鮮から韓国に帰ってきたシム氏は、息子がすでに軍から解放されていた事実を確認すると、その翌日に陸軍に自首する。 だが、陸軍は「偽装スパイ」であるとしてシム氏を起訴し、中央高等軍法会議が1959年12月に死刑を宣告した。2年後に死刑は執行されたが、軍はこの事実を家族に知らせず、シム氏の遺体を火葬した。

 父親の行方を探し続けた息子は、それから45年が過ぎた2006年になり、政府から父親が死刑になったという通知を受け取った。父親の汚名を晴らすため奔走した息子は、2009年に国の「真実・和解のための過去事整理委員会」から真実糾明の決定書を受け取った。息子は再審を申請し、裁判所は、自首した彼の父親が563日間にわたる不法拘禁で尋問を受け、偽装スパイと認めるに足る証拠が不足しているとして、2012年に無罪を宣告した。

 シム氏の息子は、これを根拠に国家を相手に損害賠償訴訟を起こした。 ソウル中央地裁民事48部(裁判長キム・ヨンハ)は8日、「陸軍が国家権力を利用して違法な捜査と裁判を行い、苛酷な行為を行った」として、3億ウォン(約3000万円)の賠償を軍に命じた。

イ・ギョンミ記者 kmlee@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/646664.html 韓国語原文入力:2014/07/13 22:05
訳J.S(1089字)

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