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路上生活を清算し、農夫の暮らしを夢見る

記事登録:2012/06/21 20:58(1960字)
←ホームレスの自活を助けるために京畿道(キョンギド)楊坪(ヤンピョン)に開校したソウル市立<ソウル営農学校>で去る20日午後、ホームレスの人たちがピーナッツ畑で草取りをしている。 楊坪/キム・ギョンホ記者 jijae@hani.co.kr

ソウル営農学校1期生のホームレス

勤勉な農夫の手にも負けずに雑草はまた生えてくる。 草取りをしてから半月で990㎡(300坪)のピーナッツ畑全体が雑草だらけだ。

20日、広くもない畑のあちこちにしゃがみこんで二十人の男たちが、初夏の炎天を物ともせず草取りの真っ最中だった。まだ小さいピーナッツの茎を痛めはしないかと片手でかばいながら雑草を取り除く手つきが細やかだった。 草掻きを持った手つきは荒いけれども、彼らはみな農夫になって3ヶ月目だ。 京畿道(キョンギド)楊坪(ヤンピョン)に位置したソウル市立〈ソウル営農学校〉で新しい人生を始めたかつてのホームレスたちだ。

チョン・スナム(仮名・60)氏も路上生活を清算し、ここで農夫の暮らしを始めた。 3年前に釜山から上京したが、職業紹介所を訪ねても六十近い人間を使ってくれる働き口はなかった。 長屋・考試院・サウナを転々としたあげく野宿を始めた。

若いときは重装備の技師としてでサウジアラビアに行き、当時の公務員の月給の8~9倍に達する大金を稼ぎもした。 故郷の釜山に帰ってきて家も買い結婚もした。 満ち足りていたチョン氏に13才の娘の白血病と共に不幸が訪れた。 8年にわたる娘の看護の末に、2005年に娘を失い億台の借金だけが残った。 月給を差し押さえされると会社に名誉退職を申請して妻とも離婚した。

「何もすることがないから、酒とばかり親しくなりました。」サウジで荒い現場の仕事をした時も酒をたしなまなかったチョン氏だ。 家族も友人もいない流れ者の生活の中で手から酒のビンを放した日はなかった。 ほとんど毎日焼酎2~3本をあおった。 「放浪生活の中でうつ病みたいなものが始まりました。 孤独もこらえ難く・・・」

アルコール中毒・暴力のくびきから抜け出し
合宿しながら農業の魅力にはまる
畑作物の栽培に養蜂・養鶏まで
一緒に働き対人関係も回復

市は7ヶ月の教育後に働き口を斡旋
「同僚と一緒に農業をしたい」

チョン氏はソウル市永登浦(ヨンドンポ)のホームレス憩いの場<ポヒョンの家>で過ごしていた去る3月、ソウル営農学校の話を聞いた。 ソウル市が運営する営農学校で7ヶ月の教育過程を履修すれば、農業系に就職を斡旋したり農地賃貸を通じて共同農場を設けられるよう援助するという内容だった。

チョン氏と同じような過去を胸に抱いたホームレス40人余りが営農学校を訪ねてきた。営農学校1期生である彼らは、去る4月に入学し合宿生活をして専門講師から農業の理論と実技を学んでいる。 ピーナッツ・ジャガイモ・とうもろこし・スイカ・パプリカなど多様な作物を1万6000余㎡(5000坪余り)の畑で直接栽培する。 養蜂・養鶏も一緒に学んでいる。

貧困、アルコール中毒、暴力、病気などを抱えて生きるホームレスにとって農業は新しい道を示している。 多くのホームレスが手にできる仕事といったら日雇い仕事の臨時職で、それさえも安定的でない。 反面、農作業は持続可能だ。 営農学校のチェ・ジョンヒョク事務局長は「多くのホームレスは路上生活で体力が落ちているうえに直ぐに一人立ちすることは難しく、働き口ができても長く持続しにくい」として「大勢で一緒になって農作業をしながら社会的関係も回復し、どこかに“参加”しているという自信も育てている」と話した。

還暦を目の前にした年齢のチョン氏は、今になって自分の体質に農作業が合っているという事実を悟った。 日ごとにスクスクと伸びるとうもろこしの茎を見ることも、作業しながら同僚らとたわいのない冗談を交わすことも楽しい。 ソウル市が約束通り帰農条件を用意してくれたら、同僚らと一緒に農業をするのが夢だ。 楊坪に来て以来、酒は一杯もたしなまなかった。

「翌日勉強しようと思えば酒は飲めません。 農作業って、やって見たら簡単なことじゃありませんね。 それでもとてもおもしろいです。 ご飯がおいしくなるんですから。」 チョン氏が虫歯をむきだしにして笑った。 日照りの中に咲いたピーナッツの花が黄色く輝いていた。
オム・ジウォン記者 umkija@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/539059.html
 訳A.K