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[世相を読む] 正義の道をよろけながら歩む/アン・ビョンジン

原文入力:2011/07/10 19:21(1779字)

希望のバスは単なる周辺部に追い詰められた労働者の人権支援闘争ではない
本質的には民主共和国運動だ

←アン・ビョンジン慶熙サイバー大米国学科教授

コラムの締め切り時間のために早く現場から出てしまった。だが、胸がとても痛く、また恥ずかしくて、どうにも文を書けなくて1時間ごとに遠方ばかりを見ている。そこは賎民資本の一方的整理解雇に対抗し186日間にわたり高空籠城しているキム・ジンスク氏がいる85号クレーンの方向だ。彼女に暖かい慰労の一言どころか、入口で警察の遮断壁に遮られ帰ってきたことがあまりにも胸に痛い。彼女は35mの高空ですさまじい人生を続けており、双龍解雇労働者はぷっくりとはれた足で連帯のために数百kmを歩いてきたというのに、たかだか数時間歩いただけの足が痛いと見下ろしている自分のずうずうしさが本当に恥ずかしい。

だが、私を最も恥ずかしくさせるのは一時期 私は人生の根元から絶縁された知識人の状態で生きてきたという事実だ。キム・ジンスクの溶接労働からKTX労働者の感情労働と農民の収穫労働に至るまで、今日 私たちの人生のすべての根元が賎民資本により脅威を受け動揺しているのに、私はただ目を瞑って生きてきた。握手を求めるペク・キワン先生とまともに目を合わせられない気持ちで私の家族は釜山のキム・ジンスク氏に向かう希望バスに乗った。これは私たち家族の人生の根元に再び接続しようと思う旅の始まりだ。

今回の希望バスは単純に周辺部に追い詰められた労働者の人権のための支援闘争ではない。さらに本質的には、私たち全員の人生の根元と正義を回復するための民主共和国の運動だ。民主共和国とは、私たち全員が自由で品のある人生の空間それ自体であり、その根元にある労働が中心行動計画にならなければならない。

この間 民主党のような中道自由主義陣営は、時には力量不足のために、時には労働する人々の周辺化があたかも21世紀のトレンドであるかのような無知と錯覚の中で自分たちの人生の根元を傷つけてきた。今こそ人生の根元と正義の復元のための労働と自由主義の全面的結合は2012年選挙の核心的話題にならなければならない。政治統合運動も、全党大会もこの核心イシューの観点と高空クレーンの現場から成り立たなければならない。

進歩的政治勢力たちにも希望バスは重要な示唆点を投げかけている。釜山に下っていく希望バスの中での‘政治学講義’で、キム・セギュン教授は市民の自発的運動から胎動したこの希望バス運動は21世紀連帯運動の新しい地平を開いたと評価した。私が乗った希望バスには87年民衆候補であったペク・キワン ハラボジからデジタル ネイティブ世代の96年生まれの中学生までが集まっていた。そして進歩的政党運動のキム・セギュン教授から盧武鉉前大統領のために献身してきたノ・ヘギョン詩人まで多様なスペクトラムが含まれていた。この多様な流れの接続は伝統的労働運動には創造的で溌刺とした刺激を与え、反対に中間層と新世代運動には深い重量感を付与してくれる。

リー ホイナキ(Lee Hoinacki)という米国の実践的知識人は生涯のテーマを暮らしの根元と連結された知識にした。彼の美しい生涯の旅跡を扱った本の題名は‘正義の道によろけながら歩む’だ。事実 正義とはマイケル サンデル ハーバード大教授の洗練された本と講義室にだけ存在するものではない。むしろ正義はよろけながら歩む暮らしの現場と根元を探しに出た道で、より一層鮮明な姿を現すはずだ。今日もキム・ジンスク氏は35m高空クレーンで強風に揺さぶられながら正義と人間に対する礼儀を絶叫している。西欧では21世紀資本主義の未来は職人労働者にあるというのに、いったいこの国は職人に対する優遇どころか人間以下として扱っている。私たちは今からでも彼女と整理解雇労働者たちを揺れる高空から大地に、再び暮らしの健全な現場に戻さなければならない。代りに大韓民国の皆がよろけながら正義の道を探す時だ。

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/486626.html 訳J.S