原文入力:2011/07/07 10:28(3207字)
朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学
まもなく200日を迎えようとしているキム・ジンスク指導委員のクレーン高空籠城を見守りながら常に感じることが一つあります。思考や情緒は十分に共有できてもキム・ジンスク先生のように「行動」はできない私のような人間は果して有意義な人生を送っているのかということへの懐疑です。
私の先祖の大多数を育ててきたユダヤ教の文化もそうですし、朝鮮半島の文化も「学問」に対してはほとんど絶対的といえる価値を置いています。1970年代の東一紡織の女工たちの叫びを覚えていますか。「いくら教育を受けていないからって、糞を食べては生きていけない!」ここで重要なことは、「教育を受けていない」という前提です。個人の意志の問題ではなく、あくまで社会的環境の問題であるにもかかわらず、「教育を受けていない人」は始めから「教育を受けた人々」の支配するこの社会に引け目を感じるようになっています。
この社会を支配する高級官僚、企業のオーナーや役員たちの多くは国内外の「名門大」の立派な学位を持っており、彼らを知的に支えたり助けたりする専任職の教授集団もやはり約40%が立派な「外国産の学位」を持つ人々です。支配者たちの最も頼っているスカイ(SKY:ソウル・高麗・延世)大学の商経・社会系列の教授集団ならば、「名門中の名門」であるアメリカの大学で「学位」を取り、流暢な内地語で武装した人々の割合はなんと80~90%に上ります(たとえばソウル大の経営学部は89%です)。開化期や朴正煕時代の掛け声どおり「知識は国力」であるとすれば、韓国は今や世界最強の国家になっていてもおかしくありません。植民地母国の「認証書」付きの知識の保有と支配/統治との関係が正確に重ねられているからです。上層部は「検証済み」の知識を確固たる支配の名分として、また極めて有効な支配道具としていますが、下々の人々までがこの体制で何とか生き残ろうと借金をしてでも子供たちに絶望的に内地語を習わせています。日帝末期に朝鮮人の中で当時の内地語であった日本語を話せる者は約15%でしたが、今日では直接的な植民統治ではない「間接統治」の状況であってもほぼ同じ程度に新しい内地語である英語を話せる者が増えています。
ところが、ここで一つの問題があります。(支配体制の必要とする)知識で人生の明暗が決まるこの大韓民国は、果してより非暴力的な社会になっているのでしょうか。最近、柳成企業の労働者たちに対する警察の対応ぶりを見ただけでも、まったく違うということはすぐに分かります。柳成企業の場合も然り、韓進重工業の場合も然りですが、資本に向かって「敢えて」行動的に権利を主張する労働者たちに戻ってくるのは1990年代と同様の源泉封鎖、不法連行、超強硬鎮圧、殺人的損賠訴訟、そして用役どもによる有無を言わせぬ暴力です。1980年代と比べても拷問が消えたこと以外にはたいした相違はないように思います。知識に満ち溢れ、最早ほとんど「余剰」になっているほどに知識に頼っている社会であるにもかかわらず、暴力性のレベルは簡単には変えられません。ということは、知識だけでは社会を改善させることはできないと見なければならないということではないでしょうか。
社会のレベルもそうですが、個人のレベルにおいても知識のみが人間を人間らしくするということではなさそうです。体制に組み込まれさえすれば、その体制がどんなに悪質であっても「高級知識」の保有者たちはたいてい軍隊の兵卒以上にうまく馴致されてしまいます。世界体制の周辺部におけるファシズムの典型に近い維新体制下では宋基淑(ソン・キスク、1935~)教授など一部の「体制内知識人」たちは民衆の味方になったものの、抵抗を主導したのは咸錫憲(ハム・ソクホン)のように「知識」そのものよりは独特の宗教的な思考を持ち「知識認証書」もろくにない野生馬的な存在たちでした。抵抗に加わった教授たちより「教授評価団」で出世街道を駆け上がった教授たちの方が何倍も多かったのです。朴正煕が幼い頃から慕っていたヒトラーの統治下では果してどうだったでしょうか。知識人の花ともいえる医療権力者、すなわち医師の約半分がナチ党の党員だったということがファシスト・ドイツの実情でした()。反戦運動を始発点として「行動する知識人」の人生を歩み始めたチョムスキー教授は、ベトナム戦争の真っ最中だった1960年代末でもアメリカの大学教授の約7割が戦争を支持したか無関心だったと回顧しています。アメリカの大学と軍需複合体の密接な関係をも考え合わせれば決して驚くべきことではないものの、とにかく知識そのものは人間を救済することができないことをよく物語る話です。
私たちが死ねば私たちの脳内に蓄積された知識はまるでパソコンのファイルのように「削除」されてしまいます。その意味においては知識人とはあまりにも「有限」な存在なのです。社会化された知識、すなわち本などの形態で共同体全体の財産になった知識はそれより長く生き残るとはいえ、絶対永遠ではありません。そして数百年が経った後には、今日の私たちの知識は単なる歴史学者たちの関心事となるのみです。知識にも「賞味期限」があるのです。ところが人間は死んでも「削除」されずに数百年、数万年が経っても色褪せないのは、キム・ジンスク先生が今示していらっしゃる「同類愛」というものです。「同類愛」「隣人愛」と言えば何となく宗教臭がしますが、実は労働運動の現場でキム・ジンスク先生の示している実践は私にとって如何なる宗教家の実践よりも貴く見えます。宗教の「隣人愛」には常に権威主義的な上下関係が内在しています。キリストは単に一人の人間ではない「神様の息子」として記憶されており、仏陀は説法を聞きに訪れた人々がその足に口を付けなければならない「世尊様」、絶対的な権威の保有者として記憶されています。宗教界では「隣人愛」は権威関係の元金になるのです。ところが今、キム・ジンスク先生が実践している「同類愛」には愛があるのみで、自己の権威を盾に君臨しようとする意味はありません。キム・ジンスク先生も制度に頼らず自分の力で「知識人」になり、私も愛読する『塩の花の木』の著者でもありますが、この知識はそれ自身が目的になるのではなく、「同類愛」を実践する手段となります。これこそが知識の唯一の正しい使い道なのです。知識とは一種の刀です。誰の手に握られるかによって解放の道具にも虐殺の道具にもなります。しかし、刀を絶対視する文化が「解放」より「虐殺」に近いのと同じように、「知識」を絶対視する文化もまったく解放的ではありません。
行動できずに体制に組み込まれた知識は単なる悪の道具にすぎません。その意味ではキム・ジンスク先生を見て私のような人間は恥ずかしく思わなければなりません。知識を専門的に扱いながらキム・ジンスク先生のように行動できなければ、結局は支配者たちに包摂され、この地獄を管理する悪魔たちの柔順な道具になる確率は極めて高いのです。私も私の仲間である「職業的体制内知識人」たちもそうですが、皆が薄氷の上を歩いているようなものです。キム・ジンスク先生を見て「人間解放に向けての知識の蓄積」は何なのか毎日毎日学ばなければなりません。