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国家の捕虜?

http://universitas.no/nyhet/53117/uten-rettigheter-i-manedsvis/

原文入力:2011/07/01 07:18(3748字)
朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学

私は今この文を少し傷心した状態で書いています。その理由とは、ノルウェーという国家の「秩序」とぶつかり、一外国人居住者としての私の無力さを再確認したからです。心が痛み感情が乱れているところですが、一応読者のみなさんに少しでも有益な結論を提供するために自分の感情を抑えて順に話していきたいと思います。

私は大概毎年7月には国内に帰ります。学会や講演などが夏休みのこの時期に行われるからです。たまに私の家族も同行して一時帰国したりしますが、今回もそうするつもりでした。ところが今日、生まれて6ヶ月の新生児である娘「サラ」をベビーカーに乗せて管轄の警察署の外国人係りに行き「サラ」の永住権を申請した際、その計画が根こそぎ揺さぶられてしまいました。私たちの申請書は受理され「約4ヶ月間」の処理期間と言われていましたが、その処理期間に当たる7月に新生児の「サラ」は外国に出かけても良いかという質問に意外な返事が戻ってきました。
「原則上はだめです。原則上、永住権の審査期間に永住権申請者は国内にいなければならず、国外に出る場合は在留資格がないため、再入国の保障はできません。あなたたちはアムステルダム経由で南韓に行くということですよね。そうですね。その場合はノルウェーが加入している欧州連合中心のシェンゲン協定に基く自由旅行圏の境界をアムステルダムで越えることになりますが、アムステルダム国際空港出国審査台の審査官の裁量に委ねられているのです。原則上在留資格のない乳児を在留資格のある一家が同行し明確に永住を目的にしようとする状況で、そのまま通してはもらえないと思いますが、もしかすると乳児だから許してもらえるかもしれません。私たちはとにかく責任は持てません。」

私はこの話を聞いて唖然とし、すぐに昔の職場の大学新聞で読んだ話を思い出しました。在学資格更新に要する期間は約8ヶ月掛かることもあるため、多くの在ノルウェー外国人修士・博士課程の学生たちはその処理中は海外の学会に参加したくてもノルウェーを離れることができないという話だったのです()。何、ノルウェーが好きで勉強しに来た人を国家の捕虜にしてもいいのかと、憤りを感じたことも今になって思い出しました。ただし、私がこの記事を読んだ頃は、まさか一歳の誕生日もまだ迎えていない私の娘にもまったく同様の残酷な規則が適用されるとは思いもしませんでした。しかし、ノルウェーの外国人管理政策においては、博士課程の外国人留学生だろうが私の娘だろうが、「無罪が判決されるまでは有罪と推定される犯罪予備軍」のようなものである点では同じです。欠陥がなく在留資格を与えてもよいという判断が下されるまでは、管理・統制の対象者にすぎない外国人は一旦「欠陥のある人間」に分類され原則上は入国が許されません。もちろんこれは鉄則ではありません。パスポートの検査をしない「シェンゲン協定に基く自由旅行圏」(EU加盟国とノルウェーなどの欧州経済区域の一部国家)内では移動しても現実的に大きな障害はなく、また本当に私どものような乳児の場合はもしかしたら母親の涙ぐましい訴えを前にして国境守備隊隊員は心を動かすかもしれません。もちろん動かさないかもしれませんが…。しかし、一応原則は一つです。検証されていない外国人居住者は「敵対的な他者」と推定され、国家によって行われる「他者に対する諸般の検証」(在留資格審査)には無制限に長い時間を要し得るのです。実際、10~11ヶ月間の査証更新を待つ外国人に会ったこともあります。ノルウェー/ヨーロッパ国境内に閉じこめられた「管理対象者」にとっては気が狂ってしまうほど不便なことなのですが、国家にとっては「管理対象者」の不便さなど何の意味もありません。監視・統制の対象物にはいかなる人間的な感情も認められはしないのです。

私の家族がこれからどうするかは未定です。私はどのみち国内に行かなければなりませんが、「サラ」の母親は重い心情で難しい決断を下さざるをえません。生まれたばかりの孫娘を祖国の祖母と祖父に見せるために危険を甘んじて受け入れるか、それとも子供の健康によくないはずの強制送還の可能性がある限り、ひたすら我慢しなければならないのか。移民庁(http://www.udi.no/)など私たちを管理する国家の部署に電話して色々と問い合わせてみてから最終的に決定しなければならないようです。しかし、うちの家族の進退などといった私たちの個人的な問題とは関わりなく、一つの公的な結論は導き出すことができそうです。ここ数年、従属理論などといった中心部と周辺部の不平等な関係を強調するマルクス主義的な理論より、「ポスト」言説にうつつを抜かしている学界で遥かに人気のある理論はホミ・バーバ(http://en.wikipedia.org/wiki/Homi_K_Bhabha)などの「混種性」(hybridity;混種性、雑種性、交配)理論です。この理論によると、植民地的・類似植民地的状況においては支配者と被支配者との出会いは必ずしも服従・抵抗関係のみとはいえず、文化交流、ひいては「混合的な文化」などを生み出し、結局 支配者と被支配者の両者をも肯定的に変え得る機会が提供されるということです。もしこの理論を韓国史に適用すれば、植民地末期のアリランなどの「風変わりな朝鮮の恨のこもった歌」の日本「内地」での人気や、朝鮮における新派劇や演歌と系統的につながりのありそうな「ポンチャック」リズムのトロット人気などのような現象に注目する必要はあるでしょう。事実、私はこの理論に必ずしも盲目的に反対するわけではありません。抑圧的な状況とはいえ、二つの人間集団の出会いはある生産的な実を結ぶこともありうるのは事実です。抑圧的な体制と無縁に、人間という存在はある種の普遍性を抱えているからです。また、抑圧的な状況を打破しようとする試みにおいてもたいていある種の「混種性」が見受けられるのも事実です。日本語で共産主義の書籍を読み、日本の同志らとともに日本の地で共産主義的な解放運動を展開した金天海(キム・チョンへ、1899~?)先生や崔益翰(チェ・イッカン1897~?)先生などはまさにそのような「革命的な混種性」を代表するのではないかと思います。そのため、「ポスト理論」だからと言って左翼は無条件に排撃する必要はないのです。

今のノルウェーを見てもノルウェーと移民者たちとの間にある種の「混種性」は見受けられもします。中東料理であるケバプを愛好する若いノルウェー人たちも、ノルウェー国内の有力な論客であるイラク出身のヴァリッド・アル・クバイシ先生(http://no.wikipedia.org/wiki/Walid_al-Kubaisi)のような方々の存在も、ノルウェーの急進政党や社会団体におけるイスラム圏出身の大きな役割もそれを証明しています。私たちのような外国人居住者がノルウェー国家の「管理対象者」の立場に置かれていても、私たちの存在がある種の混合文化を胚胎するのは事実です。しかし、ホミ・バーバの理論を絶対視し、従来のマルクス主義的なアプローチを破棄することも禁物だと思います。「混種性の誕生」という側面はあるものの、根本的にはブルジョア国家は移民者たちを管理・統制し、その労動が資本に落ち度なく提供されるよう諸般の条件を整えているのであり、これを「類似植民地的な状況」と規定しても差し支えないほどに、かなりの暴力性、強制性を帯びています。ノルウェー国家が私たちを一種の「類似捕虜」にして管理・統制できる理由は、私たちは重武装した守備隊の管理する欧州連合の国境を国家の許可なしに出入りすることができないからです。管理者たちは重武装しているものの、私たちにはいかなる武装も当然(?)許されません。国家との武装対立を試みようとする移民者は直ちに「テロリスト」に分類されるのです。結局レーニンの定義どおり、国家の根幹とは「武装した管理者たちの部隊」ということになるわけです。「混種性」という現象は認められても、基本的に移民者などの夥しい内部植民地を従えている資本主義国家は暴力にその基盤を置いています。そしてこの資本主義国家を転覆させ無階級社会を建設する過程もおそらく暴力的な側面を帯びることは避けられないように思います。もちろん社会主義者の神聖な義務は、なるべく暴力を抑制し人民の最大限の組織化による非暴力的な革命の理想を達成するよう努めることです。ただし、この理想がどのくらい現実的に達成可能なのかについては、歴史的経験は単純な答えを出してはくれません。

原文: http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/35901 訳J.S