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[寄稿]韓国で「台風同士の相互作用」を「藤原効果」と呼ぶ理由

登録:2022-09-26 05:29 修正:2022-09-26 07:39
ソン・ソグ|ソウル大学地球環境科学部教授
千里眼衛星2A号が5日午前7時20分に撮影した台風11号「ヒンナムノー」=国家気象衛星センター提供//ハンギョレ新聞社

 流体で渦が2つ以上発生し、これらが十分に近ければ互いに干渉しうる。実に100年も前に発表された理論だ。発表した日本の気象学者の名をとって「藤原効果」と呼ぶ。もともとは水タンクを使った実験によって提案された理論である。しかし台風(台風は大気で発生する強い渦)にも適用できることが明らかになり、台風の研究と予報に電撃的に導入された。

 秋夕(チュソク。中秋節)を控えた9月初め、藤原効果は多数のメディアに登場した。台風11号「ヒンナムノー」と台風12号「ムイファー」が同時に発生したためだ。北西太平洋で発生したヒンナムノーは反時計回りで円を描きながら西へと移動していた。同じ時期に台風の前段階といえる熱帯低気圧だったムイファーは北へと移動中だった。もしこの2つが十分に近づいていれば、ヒンナムノーがムイファーを吸収しえた。藤原効果の一形態だ。もちろん、そのようなことは発生しなかった。ムイファーは成長し続け、9月8日に台風になった。8月28日から台風だったヒンナムノーからは10日も遅れたが、最終的には台風12号へと発達した。

 西へと移動していたヒンナムノーは台湾の南で急激に進路を変え、朝鮮半島に向かって北進。そして北西へと進んだ。9月6日に釜山(プサン)沖を通過するという予報が発表され、南東の沿岸地方は極度の緊張状態となった。チュソクを前にして襲ってきた台風。多くの備えをしたが、備えに十分はありえない。特にヒンナムノーはこれまでで最強の台風だということで、全国民の関心がヒンナムノーに注がれた。72メートルに及ぶ風速。米軍合同台風警報センターが定義したスーパー台風の基準(風速67メートル以上)を軽く超える猛烈な台風だった。残念ながらヒンナムノーは拭い去れない傷痕を残した。最も大きな被害を受けたのは浦項(ポハン)だった。マンションの駐車場が浸水して人命被害が出た。財産被害も莫大なものとなった。推定被害額は1兆ウォン(約1010億円)をはるかに超える。

 その時、多数の韓国メディアが言及した藤原効果。私は内心、不快感を隠せなかった。気象学界の専門用語であるかのように平気で用いられた表現。だが、そもそも日本では使われない用語。学界でも「台風間相互作用」という、より包括的な表現を使う。誰も藤原効果という表現は使わない。

 藤原。日帝時代の理論物理学者だった。東京大学で博士号を取得後にノルウェーに渡り、当代最高の気象学者に学んだ。このことをきっかけに気象学の道に入った。帰国後、東京大学教授を経て、1941年から日本の中央気象台長(現在の気象庁長官)として活動した。ここまでは成功したキャリアだったと考えられる。

 しかし、彼は決定的なミスを犯してしまう。日本の敗戦が色濃くなるころ、軍部の要請を受けて風船爆弾の開発にかかわったのだ。ジェット気流が西から東に吹くことに着眼して、風船に時限爆弾を付けて米国本土を攻撃するプロジェクトだった。ジェット気流の特性を知らないと爆弾が爆発する時間が設定できないため、気象学者の参加は必要不可欠だった。まさに藤原がその役割を果たしたのだ。想像のプロジェクトではなかった。風船爆弾は1944年から1945年まで飛ばされ続け、一部は実際に米国本土に至った。

 だから藤原は第2次世界大戦の戦犯だった。戦争が終わり、彼はすべての公職から追放される。もちろん個人的な研究は続けたが、誰も彼の名は覚えていない。日本の気象庁ですら彼の名には言及しない。しかし、韓国では依然として藤原の理論を使用している。

 今からでもやめるべきだ。日本の植民地統治を経験した国で、日本の戦犯を記憶して台風を説明する? まったく理解できない。

//ハンギョレ新聞社

ソン・ソグ|ソウル大学地球環境科学部教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1060046.html韓国語原文入力:2022-09-25 18:01
訳D.K

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