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[朴露子の韓国、内と外]韓国、「権威商売」あるいは大学の死亡

登録:2022-09-14 21:21 修正:2022-09-22 07:10
研究の世界ではこのような大学は完璧に孤立する。「Yuji大学」の汚名を着た学校に、しっかりした国内研究者や留学生・外国人学者たちが来るだろうか。いくら現政権の存続期間に政権との「関係」を通じて大学に「良いもの」をつくるという打算だとしても、最終的に大学としては自殺だ。ところが、学校当局や多数の教授がこうした自殺行為を選んだのには明らかな理由がある。
イラスト:キム・デジュン//ハンギョレ新聞社

 現職大統領の配偶者であるキム・ゴンヒ女史の「博士学位論文」をめぐる論議を見ながら、私は国民大学の当局と教授たちが、長期的に見たとき「自殺」に近い行動をしていると思った。大学に「権威」が生まれる源泉は、研究の真実性、そしてその研究が他の国や他の機関の研究者によって利用され、引用されうる普遍的な価値にある。他国の研究者はともかく、それなりに勉強している高校生が見ても「研究」とは言えない、相当部分が他の資料から無断転載した文を「学位論文」として通過させた国民大学は、すでに大学としての権威をかなり失った。にもかかわらず、過去の誤りを自ら修正する能力さえないことが明らかになれば、実際のところ大学としては「死亡」宣告されたも同じだ。

 就職準備のための「高等学院」の役割は続けられるかもしれないが、研究の世界ではこのような大学は完璧に孤立する。「Yuji大学」(訳注:キム・ゴンヒ夫人が「博士学位論文」で「会員維持」(フェウォン・ユジ)を「member Yuji」と迷訳したことに由来)の汚名を着た学校に、しっかりした国内研究者や留学生・外国人学者たちが来るだろうか。いくら現政権の存続期間に政権との「関係」を通じて大学に「良いもの」をつくるという打算だとしても、最終的に大学としては自殺だ。ところが、学校当局や多数の教授がこうした自殺行為を選んだのには明らかな理由がある。実際、今回の国民大学の当局や教授たちの恥ずかしい決定は、権力と富に対する学問の長い従属の歴史を背景にしたものであり、その歴史を自ら反省しなければ結局歴史は繰り返されるしかない。

 自明な話だが「完全に自由な学問」は昔から存在したことがなかった。西洋の大学は国民国家の誕生以前は教会に従属しており、国民国家の時代には多くの場合、国家の支配的影響を受けた。オックスフォードやハーバードなど、膨大な規模の資産を持つ英米圏の名門私立大学は、自ら費用調達が可能であるため国の影響を受けにくいが、富裕層の階級的利害関係からは決して自由ではなかった。ただし、自由主義革命が変えた19世紀ヨーロッパの風土では、一つの理想として「権力からいかなる拘束も受けない大学内での自由な研究」という当為的観念が成立した。しかし、観念は観念に過ぎなかった。人類の歴史に最も大きな影響を与えた19世紀ドイツ生まれの思想家カール・マルクスは、博士学位を受けてからボン大学などでいくら求職しても教職を得ることができなかった。「急進派」として知られる人物だったからだ。もっとも、彼が早くから「教授」という名でドイツの社会貴族になっていたら、果たして彼は私たちの知るマルクスへと成長できただろうかという思いもある。

 朝鮮時代の学者であれば、普通は官職についた地主であり、奴婢の所有者だった。退渓李滉(李退渓)を、通常私たちは「偉大な学者」として崇める。退渓が14代王宣祖に献上した「聖学十図」に書かれた聖君の姿を自分に投影し、「理想的な君主」のように見せようとした朴正煕(パク・チョンヒ)は、維新時代の1975年から千ウォン紙幣の図案に退渓の顔を入れた。しかし、退渓は田畑3000斗落(約36万坪)と奴婢360人余りを有した財産家であり、正2品大提学まで上った高官だった。そのような階層に属する人々は、その地位と財産を守ってくれる国から果たしてどこまで自律的であっただろうか。ただし、君権に劣らず臣権が強かった朝鮮では、そうした士大夫の名望家たちは国家に一方的に従属したというよりは、同時に国政に大きな影響を行使することができた。

 しかし、近代に入って学者と権力者の間のこのような双方向性は大幅に弱まり、一方的で従属的な関係に近づいた。朝鮮における近代とは、自由主義革命ではなく植民化を意味したからだ。植民地の「帝国大学」は本質的に植民支配のための機関であり、教員たちは学者である前にまず官僚であった。そのような雰囲気で育った朝鮮人学生たちが、解放後に韓国学界の最初の世代を形成した。その世代にとって、独裁国家との癒着はほとんど空気のように自然だった。韓国という新生国家の上には、その後見国家である米国があった。だからこそ、韓国の「最高学府」であるべき国立ソウル大学の第1号(1948年)名誉博士になった人物は米国の極東軍司令官だったダグラス・マッカーサー将軍であり、第2号(1949年)名誉博士は初代駐韓米軍司令官のジョン・リード・ホッジ中将だった。もちろん現職大統領だった李承晩も1949年にソウル大の名誉博士になった。全斗煥(チョン・ドゥファン)政権時代には、リベリアの独裁者であるサミュエル・カニオン・ドウと、前例なき国庫横領などで世界的に悪名を轟かせたザイールの独裁者モブツ・セセ・セコも「国立ソウル大学名誉博士」になった。そのように大学は国家の対アフリカ外交に資せざるを得なかったわけだ。

 自分を学位が必要ない聖君と認識したせいか、朴正煕には名誉博士の学位はなかった。ところが、その重臣たちの「博士病」は並みならぬものだった。朴正煕の身辺警護を務めた「ガンマン」チャ・ジチョルにしても、漢陽大学法学博士であり、かつ国民大学招聘教授だった。大学が独裁政権に非常に協力的だった分、政権も大学の専任教授たちに恩恵を与えるのを忘れなかった。1970年代の国立大学教授の賃金は一般会社員の月給(約20万ウォン)とほぼ同じだったが、政府官僚に抜擢されることが比較的容易だった。「教授出身の長官・次官」という枠がその時から固まり、今の尹錫悦(ユン・ソクヨル)内閣19人のうち5人が(碩座・客員教授を含む)教授出身だ。事実、内閣の4分の1ほどを教授で埋めるのは、ここ数十年にわたり維持されてきたパターンだ。学界・大学の国家に対する従属的「協力」の対価は、結局「ポリフェッサー」(政治(Politics)と教授(Professor)を合わせた造語)たちの社会的成功だ。

 国だけではない。新自由主義時代の大学は、今や国以上に「カネ」にさらに盲目的にぶら下がっている。大学は先を争って「トップリーダー課程」、「CEO課程」などを新設して富裕層取り込みに邁進し、富裕層は富裕層でこれらの課程を人脈確保やキャリアアップに利用する。キム・ゴンヒ夫人が通ったというソウル大文化コンテンツグローバルリーダー課程も、このような部類に属するものと思われる。果たしてこうした無分別な「権威商売」に邁進する大学に、研究らしい研究ができる雰囲気がつくられ得るのか。国家への従属以上に、カネに対する従属は大学の「死」を意味するばかりだ。

//ハンギョレ新聞社
朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1058474.html韓国語原文入力: 2022-09-14 02:06
訳J.S

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