1997年に平和的な政権交代が初めて実現して以降、2007年と2017年に続き3度目の政権交代となった。保守と進歩の政権交代であるため、要職の全面的な交代とともに、政治、社会、経済政策分野でも大きな変化が予想されている。その中でも最も注目される分野は対外政策部門だ。
地政学的な位置のせいで綱渡りするしかなかったのが、この数千年間の韓国の歴史だった。唐の圧迫の中で高句麗が滅亡し、その場所には安東都護府が置かれ、元の圧迫は高麗が滅亡し朝鮮が建てられる重要な背景となった。明に対する大義名分は三田渡(サムジョンド)の屈辱へとつながった。
科学技術の発展で世界がつながり、その危機はさらに深まった。清は自らが危機に陥ると、平和な朝貢関係という慣例を破り、袁世凱を派遣して龍山に司令部を置き、朝鮮を植民地化しようとした。不平等条約に苦しんでいた日本は朝鮮を植民地化する際、龍山(ヨンサン)に日本軍司令部と総督官邸を置いた。
この危機の中で朝鮮政府は親日、親清、親ロ派に分かれた。何一つまともに対応できないうちに、王妃が殺害され、王が外国の公使館に避難するという事態すら発生した。どの国にも頼れなくなると、朝鮮に対して全く関心のない米国の力を借りようとした。その時、米国は朝鮮とフィリピンを交換する密約を日本と結んだ。
1945年以降、冷戦は韓国にとってはむしろ外交的な苦悩を軽減させた。中国とロシアを考慮しなくても済んだからだ。しかし中国の改革開放と共産圏の没落は、19世紀以前の苦悩をそっくりそのまま再現した。そして、その苦悩は今や頂点に達しているようだ。そして過去にはなかった悩みの種がひとつ加わっている。北朝鮮の核問題だ。
現時点で過去に成功した保守政権の外交政策を振り返ることは、非常に意味のある作業となるだろう。1988年の盧泰愚(ノ・テウ)政権の成立と公安政局は、民主化の流れを逆流させるかのように感じられたが、実際の北方政策は韓国の歴史を変えた大きな成就だった。金大中(キム・デジュン)大統領の就任演説で南北基本合意書が言及されるほど、盧泰愚政権の7・7宣言と対北朝鮮政策は非常に前向きだった。非核化宣言も実現した。また、脱冷戦という世界的な流れの中でソ連、中国と国交を樹立した。もしかしたら、2000年代以降の経済成長の基礎を築いた前向きな外交政策だったと評価することもできるだろう。時代の流れを読み取ったのである。
似たような例は米国にもある。米国史で最も多くの批判を受けている大統領の一人がニクソンだ。しかし、ニクソンは中国の扉を開いた。ベトナム戦争で窮地に追い込まれた米国としては、打つほかなかった苦肉の策だったとも言えるだろうが、デタントと訪中はその後の中国とソ連の未来を変え、ドイツの統一を早めることによって米国が冷戦で勝利する礎を築いた。
もしケネディ大統領やジョンソン大統領が中国の扉を開いていたなら、米国社会は黙ってただ見ていただろうか。対内的に進歩的な政策を実施してきたジョンソン大統領が、なぜベトナムに電撃的に介入したのかを聞かれた時、彼は、そうしなければ第2のマッカーシズムが起きていたかも知れないと答えた。米国の政治家の中で最も保守的だったニクソンだったからこそ、毛沢東と手を握ることができたのだ。
同様に、金泳三(キム・ヨンサム)大統領や金大中大統領が7・7宣言を行っていたなら、どんな状況になっていただろうか。盧泰愚政権の北方政策があったからこそ、金泳三は就任演説で南北首脳会談を語ることができ、金大中は吸収統一は行わないと言えたのだ。
今の状況は冷戦終結前後の時期よりも大きな危機だと言える。米中の対立が続いている。韓米同盟は韓国安保の最も重要な軸であり、中国は最も大きな貿易パートナーだ。朝米の対話が進展していないことから、北朝鮮はミサイル発射を続けている。核兵器が高度化している可能性もある。時間は我々の味方ではない。さらにウクライナでの戦争は、世界経済だけでなく韓国経済をも脅かしている。原油価格の急騰は貿易だけでなく、家計をも脅かしている。
このような危機の中で、新たに成立する保守政権が賢明な選択をすることに期待をかける。進歩的な金大中政権が、「金大中-小渕宣言」を通じて韓日関係の新たな地平を開き、保守でなければできなかった盧泰愚政権とニクソン政権の選択が歴史を変えた。新たに発足する保守政権にも、保守政権だからこそできる歴史的偉業を成就してくれることを願う。
パク・テギュン|ソウル大学国際大学院長 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )