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[社説] 新たな出発点としなければならない龍山惨事 葬儀

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/397923.html

原文入力:2010-01-08午後09:08:50

龍山惨事犠牲者5人の葬儀が今日開かれる。事件発生後 1年近くとても冷たい冷凍庫に閉じ込められていた犠牲者たちが、ようやく日当たりのよいところに葬られることになった。犠牲者たちの哀れな魂がせめてあの世では安らかな安息を探すことになることを心より祈る。この間、喪服も脱げずに悲嘆の涙で夜を明かした遺族たちにも心より慰労の言葉を送る。

顧みればここまでくるにも非常に険しく長い日程だった。非情で残忍な権力,弱者には苛酷なだけの資本の素顔を私たちははっきりと見た。私たちの社会の正義や人権,民主主義の土台がどれほど虚弱だったかも全身で感じた。今回の葬儀が単純に龍山惨事犠牲者の葬儀に終わることができない理由もここにある。今回の葬儀は私たちの社会の反人権・非民主の葬式を執り行い、人間らしい世の中を夢見て希望する場所にしなければならない。お互いがお互いをかき抱く社会,貧しい人々が希望を抱いて生きていける社会を作るという確約の場でなければならない。

だが犠牲者たちの最後の行く道に向かってまで、中傷が乱舞するのが私たちの現実だ。一部言論では「法秩序をじゅうりんした人々に汎国民葬とはとんでもない話」「社会を揺るがす火種にしようという肝」とトーンを高める。僅かな憐憫や同情も見られない。遺族たちの痛む胸をもう一度ほじくる冷酷で残忍な刃だけがきらりと光る。常識と人倫が通用し、他人の不幸に共に胸を痛める社会を作るのは決して容易なことでない。

今回の葬儀が新たな始まりとするには、まず龍山惨事の本質をもう少し明確に位置づける作業から急がなければならない。犠牲者たちが‘正当な公権力に抵抗した暴徒’と罵倒されている現実をそのまま放置する限り進展は約束できない。折しも龍山惨事事件控訴審裁判所が検察の未公開捜査記録3000余ページを公開する方案を検討しているというのでもう一度期待をかける。惨事の根本原因だった再開発政策の画期的な転換も先送りできない課題だ。クリスマス前夜の昨年12月24日、ソウル,東橋洞のツリバンという食堂に撤去班員らが押しかけ借家人たちを真冬の厳寒に追い立てた。こうした悲劇がどうして一ヶ所に終わるだろうか。葬儀が新たな出発点にならなければならない理由は、まさに龍山惨事以後も変わらないこうした現実のためだ。

原文: 訳J.S