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[コラム]「法の下で権力をもつ1万人だけが平等」といった故ノ・フェチャンの叫び

登録:2020-12-15 02:12 修正:2020-12-15 11:24
「サムスンXファイル事件」の大筋は、「収賄検事」などはすべてすり抜け、疑惑を提起したノ・フェチャンだけが有罪判決を受けて議員職を失ったというものだ。現実の法廷では彼が検察・裁判所の「司法技術者」の犠牲となったが、歴史の法廷においては無罪だ。当時、事件を検察が捜査したこと自体がナンセンスだった。もし公捜処があったなら、財閥と検事の癒着の実態が赤裸々にあらわになっていたことだろう。 [コラム]「法の下で権力をもつ1万人だけが平等」といった故ノ・フェチャンの叫び

 先週、与党が野党の拒否権を無力化することを内容とする高位公職者犯罪捜査処(公捜処)法改正案が強行処理された後、故ノ・フェチャン議員についての言及が見られた。彼が生きていたらどんな反応を示したかをめぐって様々な意見が飛び交った。チョ・グク前法相は「彼は喜んだだろう」と言ったが、チン・ジュングォン元東洋大教授は「ノ・フェチャンが賛成したと思うのか」と述べ、正義党首脳部を非難した。

 この世にいないノ・フェチャンをめぐって論争するのは詮無いことだが、彼が公捜処、すなわち検察改革とは切っても切れない当事者であることは明らかだ。ノ・フェチャンは、検察改革の切迫さを身をもって示した象徴的な人物だ。

 ノ・フェチャンの政治経歴で欠かせないのがいわゆる「サムスンXファイル事件」だ。2005年8月、国会の法制司法委員だったノ・フェチャンは、1997年の大統領選挙前にサムスンのイ・ハクス副会長と中央日報のホン・ソッキョン会長の秘密の会話を盗聴した安企部の録音ファイルを公開した。サムスンが大統領選の資金を提供したとされる疑惑とともに、7人の「収賄検事」リストを公開し、全面的な捜査を求めた。ノ・フェチャンの「苦難の行軍」の始まりだった。

2005年8月18日、サムスンから「もち代」を受け取った検事のリストを公開した当時のノ・フェチャン元議員=資料写真//ハンギョレ新聞社

 Xファイル事件の大筋を語ると、疑惑が提起された「強い力を持つ人物」はすべてすり抜け、一人で声をあげたノ・フェチャンだけが有罪判決を受けて議員職すら失った。ノ・フェチャンは、現実の法廷では「資本の顔色うかがい」と「身内びいき」に汲々とする検察と裁判所の「司法技術者」の犠牲となったが、歴史の法廷においては明らかに無罪だ。

 当時、録音ファイルから「収賄検事リスト」の実体が明らかになったにもかかわらず、2~3人の幹部検事が辞任することでうやむやになった。この事件を検察が捜査したこと自体がナンセンスだった。もし、公捜処があって検事に対する捜査が行われていたなら、財閥と検事の癒着の実態が赤裸々にあらわになっていたかも知れない。

ノ・フェチャンは自著『ノ・フェチャンとサムスンXファイル』の中で、「すべての国民は法の下に平等である」とうたった大韓民国憲法第11条1項をあげつつ、実際にはそうではないという逆説が証明されたのがまさにXファイル事件だと主張している。彼は「大韓民国においては法の下に万人が平等なのではなく、(権力をもつ)1万人だけが平等なのではないか」と述べた。

 公捜処法をめぐってノ・フェチャンがどのような態度を示したかは、本当のところは分からない。ただし、彼の言動からすると、ノ・フェチャンほど高位公職者、特に検事・判事たちの世の中、「彼らだけのリーグ」を壊さなければならないと考えていた政治家は、多くはなさそうだ。初めて公捜処法案を提出したのが第20代国会における彼であったこと一つをとってもそれが言える。裁判所に公捜処長の推薦権を与えるなど、彼が権力のけん制に敏感だったことから考えると、今回の改正案にはかなりの懸念を示した可能性はある。

 正義党が今回の決定を下した過程は、ノ・フェチャンの遺志にそれなりに忠実に従ったものであるようだ。改正案に賛成したからだけではない。決定するまでに熾烈な討論を繰り広げ、明確な結論を下した。信念に従って党の決定を履行しなかった議員も尊重した。

 正義党は、たとえ苦しくとも歴史の側に立ち、歴史の重みを感じ、責任感を持って対処した。「検察の特権の前に、ノ・フェチャンのような義人が犠牲となる不幸な歴史を終わらせるためには、公捜処の設置は避けられない課題」というキム・ジョンチョル代表の言葉は胸に響く。

 同党のチャン・ヘヨン議員が「民主主義の原則の破壊」だとして棄権票を投じたことも尊重されるべきことだ。また、共に民主党のチョ・ウンチョン議員が平素の信念に従い棄権票を投じたことも、懲戒を云々すべきことではない。もしかすると、彼らは主役ではなくとも、今の状況の大切な脇役かも知れない。

 ただ、彼らの信念が事案の先と後、主と従、歴史的使命などを総合的に考慮したものなのかは懐疑的だ。公捜処法改正案は、「部分が全体を損なうほど」その趣旨と設計に問題があるとは思えない。むしろ、公捜処法の問題を指摘する主張の方こそ、部分と全体を混同しているのではないか。すべてを一瞬にして完璧に解決することはできない。一歩進んだ後に、問題があれば修正したり補完したりすべきだ。

 責任や歴史などを語ればどこか胡散臭く、既得権や虚偽意識にとらわれていると見なすことは、慎重でない態度だ。実際に既得権にこだわる人もいるだろうが、歴史的責務を果たすために献身する人も非常に多い。「自分はロマンス、他人は不倫」的な考えや独善と傲慢に対する自己省察と批判が、直ちに時代的課題の無力化、喪失へとつながっては困る。

 今、一部のメディアや政治家、知識人たちは、状況の歴史性、知識人の真の責務を忘却して、無責任な批判と自己満足的道徳主義に陥り、状況をごまかしているのではないかと私は問いたい。私はそういう意味で、正義党の苦悩に満ちた選択を尊重する。

//ハンギョレ新聞社

ペク・キチョル|編集人 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/974135.html韓国語原文入力:2020-12-14 15:58
訳D.K

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