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[コラム]我が身に刻まれた8月

登録:2018-08-23 22:29 修正:2018-08-24 08:10
被爆者健康手帳(原爆手帳)//ハンギョレ新聞社

 2008年、国務総理室「日帝強制占領下強制動員被害真相究明委員会」(以下、強制動員委)は『我が身に刻まれた8月-広島、長崎強制動員被害者の原爆体験』という本を出した。この本は、強制動員されて原爆被害を被った人々の証言を集めた貴重な資料だ。強制動員委は2014年に活動を終了し、この本の存在も忘れられつつある。だが、被害当事者のからだと心に負った傷は癒えない。

 三菱重工業長崎造船所に強制動員されたイ・クァンモさん(95)とキム・ソンスさん(92)は、6月26日に被爆者健康手帳の交付を日本政府に要求する訴訟で証言するために長崎を訪れた。日本政府は「被爆者援護法」に則り1945年原爆投下当時に広島と長崎の被爆地域にいた人々を「被爆者」と規定し、彼らに「健康手帳」を交付し、医療費を支給している。

 一緒に訴訟を提起したペ・ハンソプさん(92)は、健康状態が良くなく日本に来られず、日本の市民団体「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」の会員である河井章子さんが代わりに証言した。イさんは、三菱重工業が自身に付けた番号である「サンマンロクセンキューヒャクジューニバン」(3万6912番)を日本語ではっきり発音した。キムさんとペさんの強制動員被害証言は『我が身に刻まれた8月』に載っている。

 彼らが健康手帳の発行を申請したのは2014年からだった。日本政府は、健康手帳の発行を日本国内に居住する人に限定し、朝鮮半島に戻った朝鮮人被爆者の医療支援は無視したが、韓国の被爆被害者と日本の市民団体の長い闘争の末に2008年、被爆者援護法が改正され韓国でも被爆者手帳を受け取ることができるようになった。イさんは、自身が収容された宿舎の名前が「木鉢寮」だったと証言し、宿舎の詳細な位置と配置図を描いた。被害者本人でなければ知り得ない情報だった。

 しかし、健康手帳の発行申請を受けた長崎市は、イさんなどに却下決定を通知した。理由は、原爆投下当時にイさんらが長崎にいたという証拠が不十分だということだった。公文書を通じて証明されなければ被爆者として認定できないという話だった。イさんらは、2016年に長崎地方裁判所に長崎市の健康手帳発行却下決定を取り消してほしいとして訴訟を起こした。日本の市民団体は、有力な公文書証拠になりうる未支給賃金供託書を探しに乗り出した。日本の企業らは、強制動員された朝鮮人の未支給賃金を戦後に裁判所に供託したが、この供託名簿を探し出せば決定的証拠を確保することになるためだ。

 ところが昨年8月、衝撃的な事実が明らかになった。長崎地方法務局が朝鮮人労働者のものと推定される3400人の供託名簿を、1970年に保存期間満了を理由に廃棄したと告白した。日本政府が1958年、朝鮮人強制動員被害者の場合には保存期間が過ぎても名簿を廃棄するなという通達を送ったが、通達にも反する措置だった。日本は、自分たちが記録を廃棄しておきながら、もう記録がないから証拠がないと居直っているわけだ。

チョ・ギウォン東京特派員//ハンギョレ新聞社

 最近会った「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」の河井さんは、大きなファイルに入れて関連資料を持ってきて、この事件について詳しく説明した。彼女は「強制的に引っ張って来た人々が被爆したのに、被爆した証拠を出せと言って居直る日本政府の態度に怒りを感じる」と話した。

 韓国裁判所事務総局が、日帝強制占領期の強制徴用裁判の結論を先送りする見返りに、外交部から海外派遣裁判官の席を勝ち取ろうとした情況が最近明らかになっているというニュースも聞こえている。強制動員被害者の被害は、両国双方から無視されている。残忍な話だ。

チョ・ギウォン東京特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/858959.html韓国語原文入力:2018-08-23 19:08
訳J.S

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