本文に移動

[コラム] 総選挙の「どん底への疾走」に逆転はあるのか

登録:2016-03-23 00:07 修正:2016-03-23 15:29

 どん底への疾走。韓国の巨大与野党の公認過程を見て思うことだ。 87年以後、いやそれ以前も含めて、今回の選挙ほど「政策」が公認作業から消えたことはなかったと思う。 巨大与野両党の公認は、ほとんど国民の忍耐力を試していると言ってよい水準だ。 青年に投票しなくとも良いという信号を送っているようなものだ。 変化の震源地になるべき「共に民主党」が深刻だ。 緊急リリーフのキム・ジョンインが出した共に民主党の地方区、比例代表候補を見れば、「中道拡張」という期待感より野党性を放棄したことに対する失望感がさらに大きい。

 こちらの公認から落ちた人が明日はあちらの党に行き、またあちらの党では待っていたとばかり、説明もなく彼を直ちに受け入れるので、与野党の識別がうまくできず、なぜ政治をするのかも分からない。 選挙まで1カ月も残っていないが、巨大野党のまともな対与党攻勢がないので無党派が動かない。 過去3年の朴槿恵(パククネ)政権の審判の場になるなり、与党の暴走を防がなければならない野党の公認が感動を与えられなければ、結局は組織と資金を持っている与党が笑うだけだろう。

 国民がほとんど壊れてしまった共に民主党を見限ることなく野党連帯を期待する理由は、このどん詰まり政権を終わらせたいという願いのためだ。 共に民主党がキム・ジョンインを「お迎え」したのは、安定感、貫ろく、経済政党の性格を強く浮き彫りにして親与指向の浮動層を引きつけようとしたためだろう。 選挙工学の観点からのみ見るならばもっともらしい代案だ。

 しかし過去の韓国政治史を見れば、現在の選挙制度、きわめて不利なマスコミ環境、地域基盤のない野党としては、政治に挫折し失望した無党派層の胸に火を付けずには政治変化を引き出すことはできず、よしんば変化が起きたとしても、強固な官僚集団、財閥という大きな壁が立ちはだかり、当初の公約をたたむのが常だ。 フィリバスター、青年比例選出など久しぶりに燃え上がる兆しを見せた火種まで消してしまったキム・ジョンインの「政治算法」と、彼が推薦した比例候補の面々は、野党指向の人々の心に冷水を浴びせるものだった。

 今回の選挙が民主化28年の歴史を完全に埋没させる「死の儀式」になるか、65年の伝統ある野党を歴史の裏側に追いやることになるのではないかとまで思う。 事実「第2の民主化運動」、あるいは民主主義に対する完全に新しい概念の確立と新たな主体の形成なしには、そして力のある進歩政党が登場せずには、この難局を抜け出す方法がない。 「古いもの」が消えないで、「新しいもの」を遮ってきた「政党とは言えない政党ら」の政治独占、共に民主党の機能喪失が原因だ。 国内外のきわめて切迫し緊急な議題が、討論はおろか議論にさえならないこのような選挙は見たことも聞いたこともない。 中道党に変身した共に民主党が総選挙で仮に善戦したとしても、それが果たして国民に希望を与えるだろうか?キム・ジョンインの「労働」が抜け落ちた経済民主化、「北朝鮮壊滅論」は完全に70年代式思考だ。

 ムードを逆転させるにはあまりに遅かった。 しかし、選挙が候補者個人に対する人気投票となる最悪の状況は防がなければならず、政治変化の小さな糸口でも用意しなければならない。 そのためには地域次元で市民、青年団体の斡旋で多様な政治の広場を開かなければならない。 正義党、緑色党など少数政党と地域の多くの団体、そして小商工人と労働者までを含む地域民会を作り、現政権を審判する討論の場を開いて欲しい。 一選挙区につき1千人程度がオンラインとオフラインで参加して、住居、仕事、福祉などのイシューを中心に政党および各党候補者を検証することはまだ間に合う。 重要なのは、住民が候補者の検証過程に直接参加したり、野党連帯の圧迫を加えうる市民政治の端緒なりとも作ることだ。

キム・ドンチュン聖公会大社会学科教授=資料写真//ハンギョレ新聞社

 総選挙の結果がどうなろうが、選挙後に私たちの政治は新たに始めなければならない。 新しい政治主体を作ろうとする萌芽的な努力であっても、それをしてこそ最悪を防ぎ希望の種を咲かせることができる。「憎くてももう一度」の歌を、そろそろ歌うのは終わりにしたい。

キム・ドンチュン聖公会大社会学科教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/736232.html 韓国語原文入力:2016-03-22 19:48
訳J.S(1888字)

関連記事