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[なぜならば] ‘ミスダ’ キャサリンが出演できない理由は何か/パク・スンボムのなぜならば

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/because/354151.html

原文入力:2009-05-10午後10:52:53
5回以上キャサリンが出てこなかった
韓国礼賛の代わりに批判した
ハンギョレ インタビューのためではないか
彼女は率直だった
ミスダには率直さが切実だ

<韓国放送> ‘美女たちのおしゃべり’(ミスダ)にキャサリン ペイリ(ニュージーランド)が出演せずにいる。多数の外国美女が交替して出演するプログラムの特性上、ある出演者が毎回出演しないことは特筆するほどのことではない。しかし、キャサリンがほとんど毎週出演したことを考慮すれば、5回以上もキャサリンが出演していないことは驚くに値する。もちろんキャサリン個人の事情もあり得て、プログラムの方向が大きく変わった場合もあるが、<ハンギョレ> 4月3日付にのせられたキャサリンのインタビューが契機となってキャサリンが出演できなくなっているのではないのかという疑問を感じる。

キャサリンは率直だった。彼女を訪ねて行った記者が期待したように ‘韓国礼賛,大邱礼賛,ミスダ礼賛’ をした方が良かったのでしょうがキャサリンは率直に韓国人批判を口にしたし、その批判は大部分事実なので私たちの胸に鋭く食い込む。

彼女は韓国人が持っているわい曲された教育熱を批判する。勉強ばかりが強調されて、その他の全てのものはさげすみとなる私たちの教育態度は多様性と創造性が強調される21世紀とはまったく似合わない古い教育方式だ。キャサリンは韓国が開発途上国から始まったフォード主義的勉強方式と成果体系が21世紀の青少年たちに相変らず適用されていることに驚く。

中国人ウン・ドンリョン氏が端午は中国に由来していると話し、悪性コメントに苦しめられたことについても、キャサリンは韓国人たちがもう少し開放的にならなければと話す。中国は私たち韓国の隣国であり、数百年間にわたって韓国が中国の文化的影響下にあったことは否めない事実だ。端午でなく正月,秋夕が由来したといっても驚くほどのことではないわけだ。韓国が荒々しく日本人や中国人に対する時、結局私たちに残るものは何だろうか。韓国人の自矜心と自負心は東アジア国家の一員として、近くは日本と中国,遠くは東南アジア諸国と協力する姿勢を見せるところでこそ現れるべきではないだろうか。私たちが皮膚の色が同じ東洋人に見せる偏見と嫌悪は、中国と日本に支配された被害意識が最も低級な形態でのあらわれではないか悩む必要がある。キャサリンが話したように西洋人には非常に寛大な私たちの態度に照らしてみる時、そのような疑いは確信の境界に立つ。

キャサリンは率直だった。考えてみれば外国美女たちの率直さこそミスダの人気の秘訣ではなかったかという気がする。ミスダをほとんど欠かさずに見る一人として、このプログラムの一番の長所は各国の美女を見られるということだ。それに加えて外部者の視角で時々彼らが韓国人にする忠告が涼しげに発せられ自らを省察できる契機になったことも大きな長所だった。キャサリンがミスダに対してインタビューでした話もミスダファンたちが十分に受容でき予測可能な範囲での批判だった。ミスダはキャサリンを再び出演させていつのまにか ‘猟奇的身辺雑記ならべ’ になってしまったようなプログラムを当初どおり変えてくれればうれしい。キャサリンの率直さが今のミスダには切実だ。

パク・スンボム光州,北区,梧峙洞

原文: 訳J.S