三星(サムスン)電子の協力業者のサービス労働者が自殺した。 "あまりに荷が重かった。 腹がへってたまらなかったし皆もあまりにしんどそうだった" と最期の言葉を残した。 この時代の自殺労働者の葬儀室には1971年チョン・テイルの葬儀室に駆け付けた大学生も在野の人もいない。 私たちは電話さえかければ直ちに駆け付けてくれ、親切に三星家電製品を修理してくれる労働者たちが、実は三星の職員ではなく、一日12時間も仕事をしてもある時は家に150万ウォンも持って行けない凄惨な境遇だったという事実を知ることになった。
"お父さんをお父さんと呼ぶことができなくて…" ホン・ギルドンは血を吐くように父親ホン・パンソの前で賎民である自身の境遇を嘆いて家を出た。 朝鮮の身分社会では母親が卑しい身分であれば両班(ヤンバン)の子供でも賎民の境遇から抜け出せなかった。 それは地位と財産が嫡子にだけ渡るように定めた身分社会支配集団の論理であった。
ところで21世紀にもこうしたことが堂々とまかり通っている。 大企業が自身の必須業務を遂行する仕事に、従業員を直接雇用せず看板も事務室もまともにないペーパーカンパニーを作り、その会社がすべての仕事の責任を負うようにしているのだ。 天も知り地も知る、この下請業者のすべての労務管理は実際には元請の指揮監督の下に成り立っているということを皆が知っているが、文書上では別個の会社が存在するようになっていて、労働部や裁判所は労働者に向かってあなたがこの大企業に直接雇用されているという証拠が不充分だからと大企業の手を挙げる。
企業家団体は直接雇用をすれば企業競争力がないと言うが、10兆ウォンもの純益を出す三星電子のような場合にも果たしてそうなのかは説明しない。 保守言論は請負をなくす法を作れば、6兆ウォンの賃金爆弾が飛んでくると脅しをかける。 賎民が両班の振舞いをすれば秩序が揺れると言っていた朝鮮両班社会の論理や、労働市場を柔軟化してこそ企業が生きるという論理は、全て強者の利益をもっともらしく包装しているという点では同一だ。 しかしたとえ賎出であっても息子であることを否認しなかった朝鮮時代より、使用者でありながら使用者ではないと言うこの時代の偽装請負ははるかに狡猾で欺瞞的だ。 表面では私たちの社会が民主主義で労働者は労働3権を享受できると言いながら、実際には正常な労使関係は存在せず、それで労働者が労組を作れば解雇される覚悟をしなければならないためだ。 従ってこの新しい身分社会の奴隷たちは、この巨大な偽りの秩序に抵抗も逃亡も出来なくて個人的に死の道を選ぶ。
利潤を生命とする企業が、労働者のすべての要求を聞き入れることはできないだろう。 労働者が労組を作ったり権利を主張する時、使用者が脅迫威嚇を加えたり交渉を拒否して、政府と裁判所が露骨に使用者の肩を持つようなことは韓国だけで起きることではない。 特に今日のように地球化の条件で企業が死ぬか生きるかの競争に露出していて、難しい消費者の好みに合わせようとすれば、企業がより柔軟に労働力を利用しなければならない情況も理解できる。 しかし人を雇用しておきながら 「私は君を雇用していない」と‘知らぬふりをする’このような資本主義の、このような国家は前代未聞だ。 ‘死ぬ程仕事をしても死ぬしかない’このような資本主義の下では、法も行政も常識も良心も完全に贅沢となる。
正直で透明で正々堂々と事業をしない企業がサービス分野で世界1位になっても、それに何か意味があるのか? 私たちの社会は福祉国家どころか、未だに近代社会の入り口にも至っていない。 ‘消費者は王様’という言葉を信じるな。 本当の王は別にいて、王のいる世の中ではあなたの息子が奴隷でありうる。
金東椿(キム・ドンチュン)聖公会(ソンゴンフェ)大社会科学部教授