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[朴露子ハンギョレブログより] 奴隷たちの天国?

http://pics.livejournal.com/skaramanga_1970/pic/007qfzbf/

原文入力:2012/01/19 22:49(3842字)

朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学

 子供の頃に習った歴史教科書には今もはっきり覚えている一枚の写真がありました。1917年10月革命後、生まれて初めて文字を覚え始めた農民の妻たちが黒板に書かれた文字をたどたどしくノートに書き写しています。「私たちは奴隷じゃない。奴隷は私たちじゃない」。歴史的な話をすれば、これはソ連政権初期の最初の教科書の一つである『文盲打倒 大人向け字母教科書』(Долой неграмотность: Букварь для взрослых, 1919)から写した文です。今日の資本主義国家ロシアの歴史教科書にこの写真が出てくるはずもありませんが、インターネットでそれ()を見かける度に、何故か胸が締め付けられます。たとえあの時の解放は何年も続かず遂にスターリン主義的な官僚体制は蜂起を断行した人民からその自由の多くを回収(?)してしまったとはいえ、その瞬間が厳然として存在したという事実、そしてその事実に対する記憶そのものが極めて重要です。1945年8月から朝鮮各地に人民委員会などが設立され、一時的な「直接的な人民民主主義」が出現したことや、1946年の10月抗争、智異山などの地におけるパルチザン闘争をめぐる記憶は朝鮮半島南部の民衆たちに重要であるようにです。そのような記憶を持った人民たちを、一時的には奴隷にすることができても、奴隷状態を脱しようとするその意志を完全に屈服させることはできないのです。

 ところが、近頃国内のニュースを聞いていると、どうしても今の私たちの状態は集団的な奴隷状態としか考えられません。たとえば、最近のイラン産原油輸入削減をめぐるニュースについて考えてみましょう。簡単に話しますと、イランを経済的に圧迫しようとする目上の国が侯国の韓国に「イラン産原油の輸入を50%に減らせ!」と厳命(?)を下し、天子の恵命を仰ぐ南朝鮮侯・明博殿下の将相たちは「天子の聖恩は誠に恐れ多いのですが、私どもの窮状もご勘案の上、30%減にとどめるご慈悲を腸りますよう、重ね重ねお願い申し上げます」と天子の使節に跪き泣訴するようなものです(http://news.donga.com/3/all/20120118/43392426/1)。南朝鮮侯王のすぐれた忠誠に元気付けられ、天子の使節は今度はさらに大きな侯国日本に行って、やはり「イランに対する経済的な討伐への参加」を同じやり方で申し付けました。しかし、韓国という一国の国家的な独立性や自主性はもちろん、その国のパスポートを持っているすべての市民たちの個人的な自尊心さえも完全に踏みにじってしまうこのニュースは、国内のメディアは大概「経済ニュース」として扱いました。経済より遥かに一次的で重要な部分が関わっているにもかかわらず、最早、殿さまとの命令/服従関係に慣れている奴隷たちにはその関係枠においては金銭以外に何も大事なものはないようです。

 何ゆえに個人的な自尊心の問題なのでしょうか。いくら貧しくても少なくとも他人に被害を与えず犯罪を犯さず、まじめに生きることにそれなりの自負を持ち、自尊心を持つことはできます。私の大好きなスコットランドの詩人ロバート・バーンズ(1759-1796)の名詩「何と言っても人は人」(http://www.robertburns.org/works/496.shtml)が語っているように、「真正直な貧しさを恥じる人間はびくびくしている奴隷そのもの、我々は彼を相手にしない。我々はあえて貧しさを選ぶのだ」ではないでしょうか。しかし、アメリカ帝国の「イラン枯死作戦」に参加する以上、私たちは最早「正直だ」と自負することはできません。アメリカ帝国がイランに対しありとあらゆる経済制裁を加え、イスラエルのモサドという諜報組職と協力して既にイランの核物理学者4人の命をテロによって奪い(http://www.wsws.org/articles/2012/jan2012/pers-j16.shtml)、さらにイランと全面戦争も辞さないとする真の理由は何でしょうか。人権?とんでもありません。イラン国会には女性議員が九人ほどいますが、アメリカと一緒にイラン攻撃を準備しているサウジアラビアには国会はもちろんなく、女性の政治的進出はてんから想像すらできません。イランの右翼的な神政独裁は女性など多くの弱者集団の人権を抑圧していることは事実ですが、アメリカが全面的に支持・支援するサウジアラビアなどの湾岸地域の保守的な王国ではイランのように、大学生の65%を女性が占める躍動的な社会は想像もできません。核爆弾製造の危険?言い訳にすぎません。中東唯一の真の核武装はまさにアメリカの「友邦以上の友邦」イスラエルがしており、多くの客観的な観察者の意見を総合すれば、イランはまだ核爆弾を製造できる水準には達していません。達したとしても何が変わるのでしょうか。パキスタンに核兵器があるからといって、周辺地域の地政学的な地図は果して大きく変わったでしょうか。

 本当の理由はとても簡単です。北朝鮮やシリア、中国と同じように、イランはアメリカ帝国の侯国になろうとしないか、なりえない国々に属します。1979年のイスラム革命後のイランは実際に宗教的な保守主義の方向に進み人民たちの多くの期待を裏切ってしまいましたが、その革命の結果それなりの対外的な自律性は確保することができました。これこそがアメリカの権力者たちにとって目の上のたんこぶになっており、革命の「か」の字を見ただけで既に臆病と憎悪に震えるサウジのような国々の支配者たちを刺激します。イランが革命を経た、資源に対する民族主義的な国家的統制を確立した国であるため、最早その油田を安値で賃貸して資源を容易に掠奪できなくなった西欧列強も基本的にイランを疑い、アメリカ帝国の反イラン策動にいとも簡単に、わりと自律的に参加するのです。たとえば、かつてイランを半植民地化したイギリスならば、そのような参加は極めて自然なことでもありましょう。しかし、韓国はイギリスのような植民主義侵略の歴史を持っているわけでもなく、イギリスとは違いイラン革命でその資源を掠奪する機会を失ったわけでもまったくないではありませんか。韓国市民の多くが共有する、日帝時代に対する集団的な記憶に基づく反植民主義的な情緒からすれば、イラン革命の成果に拍手喝采するに値し、敢えて経済的に見ても、エネルギー集約的な製造業国家 韓国の特徴からイランとこれからも緊密に協力しなければなりません。にもかかわらず、同じ被害グループに属するという歴史的な同類意識や、アメリカ帝国の専横と犯罪(今までイランの核物理学者を4人も暗殺したことは明らかに国際犯罪です!)に対する道徳的な怒りなどをすべて振り捨てる私たち侯国は、アメリカ帝国の共犯の道をスカスカ歩んでいるのです。韓国のパスポートをお持ちのみなさん、少しプライドを傷つけられませんか。

 1980年代風の、単純な「ヤンキー ゴー ホーム!統一しよう!」式の反米には様々な問題があります。南北韓双方の支配者たちが本気で統一を望んでいないことからして問題です。統一問題より階級問題が優先的に解決されなければならないということです。しかし、このような単純な、感傷的な民族主義に訴える形でなくても、奴隷状態に縛りつけられている私たちには「反米」は空気のように必要なのです。アメリカ帝国の国際犯罪の共犯になればなるほど、私たちは何よりも自らの人間的な本性、基本的な自尊を否定することになるからです。また殿さまたちの要求がどこまで続くか誰にも分からないことが問題です。アメリカ帝国が実際にイランを侵略することになったら、再び派兵を要求するかもしれず、そうなれば再びあそこへ行き帝国の弾除け役をしなければならないのではないでしょうか。反米は空気、水のように必要なものであり、また韓国がアメリカ帝国と適当に距離を保つためのいくつかの現実的な方法もあります。南北共同軍縮で駐韓・駐日米軍の駐屯の名分を取り合えず失わせ、さらに中国との安保をめぐる協助を論議し、米軍の存在を要しない中-北-南の共同安保協力の時代に向けて少なくとも一二歩は歩みだすことができるのではないでしょうか。私の考えを言えば、窮極的には南北韓双方の永久中立と朝鮮半島からのすべての外国軍の撤退こそが最も理想的な「方向」です。問題は、奴隷化の度が外れたあまり、オーウェルの言葉通り、「奴隷状態こそが自由」と思うようになった韓国の支配層です。「オレンジの発音」で朝鮮半島の「原住民」たちを階級付ける彼らは、上国からそんなに簡単には離れることはできそうにありません。そのため、今後も引き続き「オレンジの発音」があまり良くない貧しい「原住民」たちを殿さまたちの弾除けに供給しようと思っているようです。

原文: http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/40134 訳J.S