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‘申采浩 6年服役し獄死’ 旅順監獄を行く

原文入力:2009-08-22午前02:49:24
丹齋 監房の前には ‘北韓人’ 表記など誤った案内文だけぽつんと…

ユ・ガンムン記者

←中国,遼寧省,大連の旅順監獄にあった丹齋 申采浩先生に対する英文案内文。“ソンチャイハオは ‘ノース コリアン’(北韓人)として有名な歴史学者であり文学家”と紹介している。ソンチャイハオは申采浩の中国語発音だ。

“ソンチャイハオは北韓人として1923年 ‘北韓革命宣言’を書いた有名な歴史学者であり文学家だ。” 20日午後、中国,遼寧省,大連の旅順監獄. 丹齋 申采浩(1880~1936)先生が獄死した監房前に立つと、先生を‘ノース コリアン’(North Korean)と紹介する英語案内板が見える。先生の名前も中国語発音を真似て‘ソンチャイハオ’(Shen Caihao)と書かれていた。先生が書いた‘朝鮮革命宣言’は‘北韓革命宣言’と訳されている。

先生が‘417番’という囚人番号を付け6年間閉じ込められていた監房につけられたこの案内板は中国語でも書かれているが、どこにも彼が韓国人だという説明はない。先生は‘朝鮮忠清道の人’として著名な歴史学者であり文学家だと紹介し業績が書かれているだけだ。紹介文の下には‘朝鮮革命宣言’の一部が漢字に移されていた。

旅順監獄は安重根義士(1879~1910)が1909年10月26日ハルビン駅で伊藤博文を狙撃し逮捕され、翌年3月26日殉国する時まで収監されていた歴史の現場だ。安義士は日本帝国主義の核心を暗殺した‘国事犯’に
問われ看守部長が直接見張る独房に閉じ込められ時を過ごした。今年はハルビン義挙100周年になる年だ。

しかし安義士が殉国し26年後、やはりこちらで獄死した申采浩先生の跡は正確な案内文一つなく放置されている。先生は武装抗日闘争を主導し、1928年台湾基隆で逮捕され1930年10年の刑を宣告されこちらで服役し1936年2月11日に獄死した。忠清北道,清原郡,琅城面,歸來里には先生の霊廟と墓地がある。

先生に対する誤った紹介は安義士案内文の親切さとは対照的だ。安義士が閉じ込められていた独房には中国語はもちろん、韓国語と英語,日本語で書かれた案内板がついている。英語案内文は安義士の名前を韓国語発音どおり‘チュングン アン’(Jung-Gun Ahn)と表記し‘コリアの愛国の志士アン・ジュングンが閉じ込められていた所’というタイトルをつけた。彼が生まれたところを黄海道と書き、現在の‘ノース コリア’と説明までしてある。

旅順監獄は中国人たちにも広く知られた抗日遺跡地の一つだ。中国の多くの抗日愛国志士もここで日本帝国主義のあくどい苦難にあい亡くなった。監獄のあちこちには彼らが祖国の独立を夢見て残した漢詩が展示されている。中国政府は2005年にここを愛国主義教育示範基地に指定し国家次元で管理している。

旅順監獄を紹介する中国人案内員は安義士の独房前では間違いなく歩みを止め詳しい説明を添えた。ある案内員は中国人観光客たちに「アン・ジュングンは日本帝国主義の中心人物を狙撃した韓国人抗日闘争家”と紹介し、彼が亡くなった時、年齢がわずか32才であったことを強調した。説明を聞いた中国人たちは安義士の義挙に敬服したように何度も頷いた。

しかし、そこから20m余り離れた先生の監房は暗く寂しく見えた。中国人案内員も何の説明もなしに何気なく監房を通り過ぎた。

旅順/文・写真 ユ・ガンムン特派員moon@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/372483.html 訳J.S