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‘悲惨な戦争の歴史、どのように教えるか’日本社会を熱くした‘はだしのゲン’論難

戦争と原爆の惨状を描いた漫画
日本の地方自治体、生徒たちに閲覧制限
批判世論が高まり結局撤回
<はだしのゲン>

 1945年8月6日、日本の広島に人類初の原子爆弾が落ちた時、6才だった中沢啓治(2012年12月死亡)は爆心地からわずか1.3km離れたところにいた。 彼の父親と姉、弟、妹は20万人の広島市民と一緒にこの原爆の犠牲になった。

 その日、学校の塀の後方にいたおかげで生き残った中沢は、後に漫画家になり、自身の体験を基に戦争と原爆の悲惨さと困難に屈しない人間の姿を<はだしのゲン>(図)という漫画に描いた。 漫画は1973年、週間漫画雑誌<少年ジャンプ>に連載され、1987年には単行本10巻で出版された。 <はだしのゲン>は日本で1000万部以上が売れ、韓国語など20余ヶ国の言語に翻訳されて世界各国で出版され‘平和教育の教科書’という評価を受けてきた。

 「<はだしのゲン>を生徒たちが自由に閲覧できなくし、教師が必要とする場合にのみ閲覧できるように別途本棚に保管しなさい。」島根県松江市教育委員会事務局は昨年12月、市立小中学校校長会議でこのように指示した。 一部の学校が指示に従わなかったため、教育委は1月にこれを徹底的に施行するよう繰り返し指示した。 理由は‘旧日本軍が周辺アジア国家の人々に加えた残虐行為に関する描写が過度だ’ということだった。 漫画には旧日本軍が他国のアジア人の首を遊びで切る場面、女性を残虐に殺害する場面、妊婦の腹を切り胎児を取り出す場面などが載っている。

 市教育委の措置は一人の自営業者が昨年8月このような場面を問題にし「生徒たちに誤った歴史認識を植え付ける。 学校の本棚から<はだしのゲン>を片づけなさい」と市議会に陳情を出したことが発端になった。 これを受け付けた市教育委の閲覧制限措置が最近マスコミの報道で広く知られ、日本社会全体の大きな関心事に浮上した。

 日本政府内からは閲覧制限の肩を持つ発言が出てきた。 下村博文 文部科学相は21日記者会見で「市教育委の判断は違法でない以上、問題がない。 子供の発達段階に合わせる教育的配慮が必要だ」と話した。

 しかし閲覧制限を批判する声の方がはるかに大きかった。 松井一實 広島市長は19日「被爆の惨状を見せ、再びこうしたことが起きてはならないということを感じさせることが重要だ」とし、教育委の措置に問題を提起した。 ‘チェンジ・ドット・オーグ(Change.org)’というインターネット署名サイトでは、松江市の措置撤回を要求する署名運動が広がった。 日本漫画家協会は26日、松江市の措置が「表現の自由の規制につながりうる憂慮すべきこと」という意見書を出した。

 松江市教育委員会は26日会議を開いて‘手続きに問題があった’と結論付け、閲覧制限を撤回した。 菅義偉 官房長官は 「(教育委が)閲覧制限を撤回したことは妥当だ。 教育委員に諮問を求めるのが正しかった」と27日話した。 だが、市教育委や官房長官は、閲覧制限自体の正当性に関しては言及を回避した。 <朝日新聞>は「閲覧制限を撤回したからと言ってすべてが終わったわけではない。 どのようにして子供たちに悲惨な過去の戦争を教えるか、深く議論しなければならない」と指摘した。

 論難が拡大しながら日本人の間に<はだしのゲン>に対する関心が高まり、多くの書店で品切事態が起きている。 この本を出版している汐文社と中央公論社(文庫版出版)は急遽増刷に入ったと<毎日新聞>が伝えた。

東京/チョン・ナムグ特派員 jeje@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/601134.html 韓国語原文入力:2013/08/27 21:59
訳J.S(1628字)