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[週刊ハンギョレ21] 韓国の政治は1987年以降、どこまで進んだか(2/3)

登録:2015-02-25 23:55 修正:2015-03-01 08:17
漠然とした情緒、反政治主義、制限された多元主義…
昨年7月、セウォル号遺族がソウル汝矣島の国会前でセウォル号特別法交渉に遺族の参加などを要求し、沈黙座り込みを行っている。セウォル号特別法で与野両党は遺族など国民を代表できない典型的な政治的無能を露呈した。 キム・ギョンホ先任記者//ハンギョレ新聞社

 新政治民主連合やセヌリ党の理念的特性が保守であれ中道であれ、“権威主義”という側面で一層重要なことは両党間の理念指向区分が非常に曖昧な点だ。スペインの政治学者フアン・リンスは権威主義の特徴を三点に区分した。第一は明確なイデオロギーを持たず漠然とした情緒を呼び起こす考え方(Mentality)に依存することで、第二は市民を政治から遠ざけさせる反政治主義を動員することで、第三は野党を執権の範囲外に置く“制限された多元主義”を追求することだ。 現在韓国の政党システムは互いに理念的区別がされず、党自体もアイデンティティが曖昧な二党が政界を掌握しているという点から見て“権威主義”の第一の特徴を克服できずにいると見られる。 これに加えて広範な有権者に広まっている“政治嫌悪症”と第3勢力が政界に登場できない構造的限界もまた、韓国が未だ権威主義から抜け出せていない根拠になる。

 それでは、このような権威主義的構図はどのようにして固着したのだろうか。多様な理念的差異の中で競争し協議する“多元性”を基礎とする民主主義をまともに定植できずにむしろ権威主義への逆行を呼び起こすことになったのは、何よりも第一野党である新政治民主連合の責任が大きい。新政治民主連合が第一野党として見せたことは、相変らず30年前の独裁対反独裁構図を抜け出せずに、ひたすらセヌリ党に反対することだけに集中してきたように見える。 チェ・ジンウォン慶煕大学フマニタスカレッジ教授は「民主化以後の談論で(新政治民主連合は)相変らず“反独裁民主主義”を克服できずにいる。 全てが民主対反民主の構図になるということだ。 ある程度民主化されれば、相手方を敵として見るのではなく競争者として見るべきだ。自身と考えが違えば相手方を独裁勢力に押い立ててはならない。 しかし、それが新政治民主連合の現在の姿だ」と批判した。

 新政治民主連合がこのように独裁対反独裁構図に執着するのは、逆説的に言えばセヌリ党との理念差異が殆どないためだという分析もある。 理念的に差異を前面に出せないので、他でもっと深刻に対立する姿を見せることにより自身の存在感を示すということだ。 そうなれば互いの理念間隙が少ないにもかかわらず、両極化政治は一層激しくなるという悪循環が発生する。 パク・サンフン フマニタス代表は「誰が執権勢力と大統領を最も強く攻撃するかという“外部化競争”が“両極化政治”を煽ってきた。 多数の有権者を説得できるよう代案政権として組織的準備をすることなく、誰であれ相手を攻撃する情熱だけが支配しているのが今の新政治民主連合の姿だ」と指摘した。

 新政治民主連合が最近新たな指導部を設けて“鮮明野党”というスローガンを押し出したが、このような点でむしろ憂慮の恐れがあるという指摘もある。“鮮明野党”というスローガンが今日までそうだったように自らの無能を隠蔽するための手段として作用しかねないためだ。 キム・ギョンミ政治発電所政策チーム長は「新政治民主連合は『朴槿恵政権が悪い』というスローガンを自分たちの無能に対する言い訳としてきた。 新政治民主連合が最近の年末調整論議や昨年のセウォル号事態などで出した代案が一つもないではないか。李明博政権以後、野党がイシューを先行獲得したことはなく“4大河川”など政権批判ばかりしてきた。 これは一種の権威主義の遺産であり、新政治民主連合を虚弱にさせた最大の理由だと見る」と分析した。 相手を敵ではなく協議の対象として眺め、対案になりえる具体的な政策で対立点を立てる時にこそ“多元性”を特徴とする民主主義が成熟できるという指摘だ。

■ ひたすら閉鎖的に発達してきた韓国の政党“システム”

 新政治民主連合が民主主義を後退させたと評価されるまた別の理由は、誤った方向での政党組織改革だ。 新政治民主連合は2000年代初期に「権威主義を清算する」という名目で集団指導体制、完全国民選挙制度、議員の自律性強化などを追求する方式で大々的な党改革に乗り出したことがある。 この方式については学者間でも色々な論争があるが、チェ・ジャンジブ教授、パク・サンフン代表、パク・チャンピョ教授らはこのような党改革が党のリーダーシップを弱め党の組織を完全に駄目にする結果を招いたと分析している。

 パク・サンフン代表は「政党システム(ある社会に現れる政党の分布)は、社会の多元的軋轢構造に合わせて“幅広い構図”を持たなければならない。 しかし政党システムとは異なり、“政党組織”は有機的に構造化されなければならない。 一言で言えば、強固に組織されなければならないという話だ。多元的で開放的な政党システムと同時に凝集的で強固な政党組織が民主主義の価値に相応する政党論の核心と言える。 ところがこれまで韓国の政治において政党システムはより一層閉鎖性が深刻化された反面、政党組織の開放性は政党自体を作動不能にさせるほどに勝手に実験された。 “システム”に求められる改革原理(開放的でなければならない)と“組織”に求められる改革原理(凝集的でなければならない)が、互いに逆に適用されたためだ」と指摘した。

 パク・チャンピョ教授も「民主改革派の政党改革論批判」(『論争としての民主主義』)という文で、旧ヨルリンウリ党(開かれた私たちの党)の改革実験は党組織を解体させアイデンティティの危機を呼び起こしたと指摘した。 彼はこの本で「改革派は(国民選挙制度などを通して)党員および支持者の自発的参加を引き出し、これを通じて党の基盤を強化しようと考えたが、制度化の水準が脆弱な状態で過度に理想主義的代案を拙速に追求した結果、党自体のアイデンティティを危機に陥れる結果を招いた。改革派は権力分散を民主化の核心と理解して党政分離、集団指導体制、ツートップ体制、院内政党化、議員自律性強化などを追求したが、これらは結局政党のリーダーシップ解体によって党のアイデンティティと凝集性が解体される結果をもたらした」と分析した。 チ・ビョングン朝鮮大学教授も「国民選挙は姑息だ。もちろん国民の意見を代弁するという開放性の側面も重要だが、より優先しなければならない過程が党員に基盤を置く政党を運営することだ。それを最初から無くしてしまい、人気のある人や当選可能性のある人を選ぶことになれば党内混乱は持続せざるをえない」と指摘した。

■ 大統領府と地域基盤に依存するセヌリ党

 もちろんこれに対する反論も存在する。 チェ・ジンウォン教授は“完全国民選挙制度”が政党を弱体化させるという主張に対して「現実は国民参加と開放化を要求しているのに、それを妨害してひたすら真性党員を中心に行こうと言ってはならない。真性党員ができればそれでも良いが、できない現在の条件でそれを継続推進するならば特定地域が寡頭代表される現象が発生する。 ネットワーク型政党モデルとオープンプライマリーは(党員が中心となる)大衆政党の限界を補完しようという意味だ。 党員が供給されないので外にある集団知性の参加を吸収し政党のアイデンティティを強化しようということだ」と話した。

 このような反論にもかかわらず、当時の政党改革は失敗に帰したということは大勢の評価だ。 以後、新政治民主連合はアイデンティティの混乱と共に深刻なリーダーシップ不在を体験し、有権者に無視されている状況だ。 パク・サンフン代表は「『国民に返さなければならない』というもっともらしい論理で政党改革が行われたが、その結果は何だったのだろうか? 一言で言えば、世論が支配する政治だった。 世論調査が絶対的な力を持つようになり、市民を構成する階層と集団の声は聞こえなくなり、無定形な“国民世論”だけ浮上した」と診断した。 政党の役割は国民を代表する人を公認し選挙を通じてこれに責任を負うことなのに、公認を一般に任せてしまって政党の役割自体がなくなり責任もまた消滅したということだ。 結局“権威主義の清算”を旗印に掲げた改革の方向が、逆に韓国政党システムによる民主主義を一層悪化させたという指摘だ。

ソンチェ・ギョンファ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/679093.html 韓国語原文入力:2015/02/21 13:25
訳J.S(3665字)

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