原文入力:2011/08/17 09:51(3025字)
チェ・ウォンヒョン記者
史料収集家 ロボタ チャン、ハワイの不動産登記資料を追跡
"国民会資金で不動産購入、担保貸出償還責任も転嫁
韓人たちが与えた独立運動資金 ただの一度も渡されたことはない
私益を図ったのが彼の実体"
←国民会とハワイ移民史に関連した史料を収集してきたハワイの韓国人2世ロボタ チャン氏が<ハンギョレ>とのインタビューで、ホノルル新聞など当時の史料を見せながら国民会の活動と李承晩の行跡について話している。 イ・ジョンウ先任記者 woo@hani.co.kr
1903年から1905年の間に7200人余りの韓国人がゲーリック号に乗り米国、ハワイ州、ホノルルに到着した。ハワイの色々な島にあるサトウキビ農場で仕事をするためのこの大規模労働移民はその後に大きく増える米国韓国人社会の契機となった。特に1909年に作られた‘国民会’は韓国人社会を代表する団体としてハワイとサンフランシスコで各々活発な活動を行った。1910年、韓日強制併合で母国を失ったハワイの韓国人は、サトウキビ農場で辛い労働に耐えながら 来るべき独立を望み国民会に寄付をした。1912年、ネブラスカ大で軍事を学んだ独立活動家パク・ヨンマンを招請し国民会の役員を任せ、少年兵学教を支援したことは当時の韓人たちの願いよくあらわす事例だ。
しかし1913年、国民会とパク・ヨンマンの招請で李承晩がハワイにきた後、全てが変わった。李承晩にとってハワイ時期は米国社会に韓国人独立活動家として自身の存在を積極的に知らせた時期だが、ハワイの韓国人たちにとっては分裂と反目、対立で綴られた時期だった。ハワイ同胞2世であり史料収集家のロボタ チャン(80)氏は「韓国人社会の分裂は李承晩から始まった」と話す。ハワイ移民100年史を整理した本<ハワイの韓国人たち>を出版したチャン氏は去る6月に帰国した後、記者とインタビューを行い、今月初めにはハワイ韓国人社会の分裂に対する自身の新しい研究史料を<ハンギョレ>に送ってきた。
ハワイ韓人社会の分裂に対しては法廷訴訟資料、当時 韓人社会内部で起きた暴動に対する新聞記事など多様な記録がすでに出ている。また、よく武力闘争を強調したパク・ヨンマン派と外交路線を強調した李承晩(イ・スンマン)派の対立が分裂の中心であったということで知られている。しかし、チャン氏は韓国人社会分裂の正確な実体を見るために他の接近法を選んだ。 国民会と李承晩の不動産取り引き内訳を覗いて見たのだ。 ハワイ登記所で捜し出した記録と法廷訴訟記録などを通してみれば、当時 韓国人社会を分裂に追い込んだ原因が何だったのかあらまし察することができる。
1915年は国民会に大きな混乱があった時期に挙げられる。当時会長だったキム・ジョンハクとパク・ヨンマンなど主要幹部は、資金横領の疑惑を受け男子学生らの襲撃を受け負傷した。その後、ホン・ハンシク牧師が新たに会長職をひきうけるなど李承晩支持者が国民会主要幹部職を任された。 ロボタ チャン氏はこの事件の実体を理解するためには1914年の李承晩の不動産取り引きを見なければならないと語る。 李承晩は1914年7月16日、女学校寄宿舎を作るために韓国人社会がかき集めた資金2400ドルで不動産を購入し、同日その不動産を担保に年利8%で1400ドルを借り入れた。1年後の償還日を控えた状況で国民会を掌握したのだ。 実際、国民会を掌握した直後の1915年7月27日、国民会は国民会資産の女学校を1ドルで李承晩に売却した。しかし借りた金をどこで使ったかについては何の記録も残っておらず、償還の責任は国民会にあった。
←1942年初め、臨時政府の駐米韓国委員会代表資格で国務部を訪問した李承晩博士(写真)は当時の国務長官コデル ハルと特別補佐官アルジャ ヒスらに米国の臨時政府承認を要請した。
このようにハワイで李承晩は継続的に国民会議の影を消し、国民会の資産と韓人社会の共同資産を自身のもののように使えるようにする作業に執着し、そのために韓人社会を深刻な分裂へ推し進めたとチャン氏は主張する。不動産登記記録と法廷訴訟記録がまさにその証拠だということだ。 李承晩は1916年には自身の名で4500ドルで買い入れた不動産と女子学生寄宿舎を担保に4250ドルを借り、国民会資産である男子学校を譲り受け それを担保に3500ドルを借り入れた。しかし借りた金をどこで使ったのかは記録を残さず償還責任は国民会に押し付けるパターンが続いたという。これに反対した新しい国民会会長ホン・ハンシク牧師は特別な理由もなく他の島へ転出し、他の李承晩派国民会幹部がそれを承認した。1918年には李承晩が主導した資金執行に疑問を抱き反発した国民会会員たちが殺人未遂容疑で告訴される事態も起きた。
チャン氏の記録によれば、こういうパターンは李承晩が臨時政府首班になるために上海に発ち再びハワイに戻った1921年以降にも続く。臨時政府首班の権威で国民会を解体し‘海外同胞団’という新しい韓人団体を作った李承晩は「あたかも不動産業者のように絶えず不動産を買っては売り」1918年に自身が独自に作った‘韓人キリスト学院’に国民会の資産を引き込んだということだ。国民会の財政監視を避けるためにニセ物役員らで構成された理事会で不動産売却を承認したケースもあったという。こういうパターンで李承晩支持者らも結局は問題を提起して立ち上がった。新しい韓国人村の開墾、伐木事業などいろいろな事業を展開するために李承晩が主導して作った‘同志殖産会社’を巡って起きた暴動が代表的だという。同志殖産会社が相次ぐ事業の失敗で破産に至り、そこに投資した李承晩支持者らまでが大小の訴訟を提起したのだ。
←国民会が支援した軍事学校で韓国人が軍事訓練を受けている様子。ハワイに来たパク・ヨンマンは韓国人少年兵学校を組織し武装闘争を通じた独立運動を繰り広げようとしたが韓国人社会の深刻な分裂により挫折した。 ロボタ チャン提供
何よりもチャン氏が問題とするのは、ハワイの韓国人がサトウキビ農場で苦しい労働をしながら快く出した資金が、独立運動に使われるどころか出処も不明なところに使われたという点だ。チャン氏は「中国と韓国の独立運動闘士らに資金支援をすることが国民会の本来の意味であったのに、李承晩が韓国人社会を掌握していた間にただの一度も彼らに資金が渡されたことがない」と話した。
チャン氏は「韓国人社会を分裂させ自身のひそかな利益を手にしたことが李承晩という人物の本質」と批判した。チャン氏の資料を検討した在米韓国人独立運動史専門家であるアン・ヒョンジュ氏は「既存の研究成果に加え不動産記録を通じてハワイで李承晩がどんなことを行ったのかが直接的に明らかになった」として「この部分について歴史学者が研究を集中し李承晩の実体的な姿をより一層明らかにしなければならない」と話した。 チェ・ウォンヒョン記者 circle@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/religion/492022.html 訳J.S