[マガジンesc] キムジョ・グァンスの「マイ ゲイ ライフ」
原文入力:2010-11-25 午後03:11:31(1513字)
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幼い時、私が住んでいた町は小さな家が鈴なりに並んでいるソウルの郊外にあった。お隣りの夫婦がいつ夜なべをしたのかが分かるほど秘密がなかったし、情に厚い町であった。我が家から遠くない距離にあった友人の家の玄関わきの部屋に、20代の兄弟が下宿しており、そのうちの大学生の兄が、私をはじめとする町内の子供たちの多くに安値で勉強を教えていた。兄弟は善良な顔ですっきりしていて清清しく、町内のおばさんらが相次いで婿にするというほど、人気が高かった。
ところがある日、その兄弟が夜逃げするように去ってしまった。彼らが消えて1週間が過ぎた後、おしゃべりなおばさんたちの口を通じて内部事情が分かった。「あのホモたちめ!」そうだった。兄弟に偽装したホモカップルだった。本当に多くの町内の人々が、そのホモたちを追い出したとのことも、後で知ることになった。ママにホモが何かと尋ね、まともな返事なしに叱られたし、先生に聞いた時は「悪いことする人々で病気がうつるから、近づいてはいけない」という答を聞いた。
中学校3年生の時、友人の家に遊びに行って真っ赤な本[訳注:わいせつ書物のこと]というのを初めて見ることになった。私は雑誌の中の胸が大きな女たちより、写真を見て興奮して膨らんだ友人たちの股間にもっと注目が行った。その中には、私が好きだったやつもいた。そのやつに私の心を見透かされるかと思ってすぐに逃げた。家へ帰る最中、ずっとホモになったようで痛くて苦しかった。そのように思春期を体験して、ますますホモになっていく自分を自覚し、憂うつになった。どこで感染したことか分からない私の病気が嫌いだったし、それをまた他人にうつすのかと思い、恐ろしかった。
それが病気ではなく、悪いことでもないのが分かるまで10年以上かかった。今はなくなってしまったパゴダ劇場という名のハッテン場があった。2度も無駄骨を折って3度目に来たとき、セクシーな青年に出会った。彼は金をたくさん儲ければスウェーデンに移民に行くつもりだといった。スウェーデンではホモたちが市内の中心街で合法的にパレードを行い、はなはだしきは結婚もできるといった。そしてより重要なことは、彼らをホモでなくゲイと呼ぶということだった。その後、本や映画を通じて、スウェーデンだけでなく世界の多くの国でゲイたちが同性愛者人権運動を行っていることを知るようになった。やがて、私もカミングアウトしたし、クィア映画[訳注:クィア(Querr)は男性同性愛者のこと]を作って劇場にかけることもした。
何日前、人々が廃刊運動をする某新聞にホモフォビア団体が奇妙な広告をのせた。「(ドラマの)『人生は美しい』を見てゲイになった私の息子、エイズにかかったらSBSが責任を負いなさい」というのであったが、私の目に映るのはホモでなくゲイという単語であった。わが国の代表的なホモフォビア団体でさえも(!)私たちをホモではなくゲイと呼んでいた。
ゲイという単語は英語で「楽しい」という辞書的な意味を持っているが、同性愛者たちが自らを、楽しく幸せに暮らすためにそう呼んだのが定着した。このコラムの題名が「ゲイ ライフ」であるのもそのためだ。これから愉快溌剌なゲイライフに出会えるだろう。世の中はそのように変わる。
キムジョ・グァンス 映画監督
原文: https://www.hani.co.kr/arti/SERIES/281/442686.html 訳M.S