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撮ったのより胸に刻み込んだ話 もっと多い

原文入力:2011-02-17 午後09:16:56(1867字)
父に北還させられた兄たちの話
姪のソンファを中心に10年間記録
家族たちに被害が及ばないよう願う

←梁英姫(ヤン・ヨンヒ)監督

イム・ジョンオプ記者、カン・ジェフン記者
   
ドキュメンタリー映画「グッバイ ピョンヤン」
在日同胞監督 梁英姫(ヤン・ヨンヒ)

「私と姪のソンファは境遇がとても似ていました。私は在日同胞2世、姪は北送還同胞2世。万一、私がソンファだったら、どうだったのだろうか、それが映画の出発でした」

1995~2006年平壌を10回ほど出入りして、姪を中心に北送帰還家族の日常を記録した「グッバイ ピョンヤン」の梁英姫(ヤン・ヨンヒ, 47)監督は、2番目の兄の末娘のソンファを自分の分身だといった。「撮った話より、胸に刻みこんだ話がもっと多く、撮った時間より悩む時間が長かったです」 なぜだろうか。総連(在日朝鮮人総連合会)の熱血活動家の父の意志により「祖国」へ送られた3人の兄と家族の話で、今でも彼らは平壌で生きており、「ディア ピョンヤン」(2006年)が理由で、北韓入国禁止となった身だからなおさらだ。前作は主に父が素材だった。

「20代の時には、父と一緒に食事もしませんでした。どうして兄たちを北韓に送ったのかと恨んでです。30代になって、カメラを当てて尋ねました。後悔していないのかと。『うるさい』と言わせることはできましたが、『後悔はしていないが、送らなくても良かったようだ。当時は北韓がうまくいくことを期待した。若い日の判断だった』と言いましたよ。その返事が問題となりました」

今回の作品は、平壌の家族を守るための目的もあると打ち明けた。隠すよりは、最初から家族を有名にさせれば、北韓で簡単に触れられないだろうという「希望事項」だ。 映画の中、ソンファは3~4才の時、微笑んで、おばあさんとおじいさんの名前を言うところから始まり、敏感な話題が出てくれば、カメラを消してという女子高生を経て、叔母に英文手紙を書く金日成大学の大学生になっている。

「平壌人民大劇場の前でした。対話が記録されてはいけない、と思い胸が痛かったです。何年もの間、私のカメラで撮られて、いやな気持ちがどれくらい大きかったのだろうか。消しましたよ。その後、1時間、話したでしょうか? 映画がどういうものかを見せてあげたかったです」 内容は、自身が海外でみた映画、演劇、コンサートの話だ。梁監督は、黒の背景に白の活字で対話を要約、整理して、差しさわりのないことを言う。実質的な対話をする時は、カメラを消したため、映画の中のヨンファの家族と梁監督の対話は抜け殻だ。

ヨンファと一緒に行った外国人専用ホテルのレストランの場面も同じこと。「注文してと言われ、子供が迷いました。注文して後悔したらどうしよう、ということです。参鶏湯、トッポッキ、ピザなど、なじみの薄い食べ物ばかりだと、絵が浮び上がらないんです。経験せずに後悔するより、経験して後悔するほうが良いと言いました」 梁監督は「統一したり自由往来できるようになれば、北韓の人々が南側居住者や日本人の下で働くのが明らかだから、姪は生き残れるようにあらかじめ準備させたかった」とした。姪が英文学部に進学したのは、叔母の影響ではないだろうかと推定した。

ヨンファも梁監督のようにアイデンティティーに悩むだろうか? 「もちろんします。悩んで解決できることでもないですが、会う度に、聞くことも見ることもできない話を聞かせて刺激したら、不愉快になることがあるのではないか。元々、隠して暮らすのに慣れていて、2006年を最後に会った時までは大丈夫だったが…。 いつか分からないが、一緒にお酒を飲みながら話の続きをしたいです」 彼女は「試写会に主人公ヨンファが来なければならなかったのに」と言葉を続けることができなかった。

「記事のために家族に被害が及ぶか心配だと書いてください。実際、映画で平壌の家族が話した内容は、たいしたことはないでしょう。問題があるとすれば梁監督です」 3月3日公開。

文 :イム・ジョンオプ先任記者 blitz@hani.co.kr
写真:カン・ジェフン先任記者 khan@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/movie/463947.html 訳M.S