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[寄稿]植民地の痛みが芸術に残したもの

登録:2022-05-21 03:17 修正:2022-05-21 09:24
[ハンギョレS]チュ・イルの週末ゴロゴロ 
『モニカと行く世界名画の旅』
『モニカと行く世界名画の旅』絵:マウリシオ・ヂ・ソウザ、文:パク・ウチャン//ハンギョレ新聞社

 コロンビアのボゴタにあるボテロ美術館に行ってきた。フェルナンド・ボテロは数週間前に90歳の誕生日を迎えた。彼の故郷では、誕生日までの1年を「ボテロの年」に指定して記念した。彼は自身の絵画と彫刻を、暮らしに余裕ができてから集めたベーコン、バルテュス、ピカソ、シャガール、ミロ、モネ、ロートレック、ボナール、デブタン、ピサロ、ルノワールなどの作品と共に寄贈して美術館を作った。寄贈の条件は、誰に対しても無料で開放するということ。20時間以上飛行機に乗ってやって来た私も恩恵にあずかった。美術館を散策しただけで現代美術の100年が感覚的に整理できる。

 多彩な色を用いて官能的で豊満な人物を描いた、誰が見てもわかるボテロのスタイル。キャラクターに過ぎないとこき下ろされもした。ラファエロやヤン・ファン・エイク、レオナルド・ダ・ヴィンチなどの作品を再解釈した作品を「キッチュ」と過小評価する批評家がいた。しかし、社会と歴史の脈絡の上にある誇張された人体比例、表情が読みにくい顔、節制された動きなどは、制度化された規範を嘲笑するとともに、麻薬と内戦に苦しむコロンビア国民の痛みと不平等に対する問題意識を芸術的に明確に表している。 彼の作品は見る者をしばし柔らかく包み込むが、不平等と政治的抑圧に対する緊張の糸は緩ませない。

 南米を旅した「記念」に改めて目を通してみるマウリシオ・ヂ・ソウザの『モニカと行く世界名画の旅』。ボテロと同年代のこのブラジルの漫画家は、半世紀以上も愛されるキャラクター、モニカを生み出した。足も速く力も強い7歳の少女は、いつも青いウサギのぬいぐるみサムソンと一緒。親友のマギー、2人をいじめようとするジミー・ファイブとスマージー、物知り博士フランクリンと何でも現実にする魔法のペンを持つマリーナ。彼が生み出した漫画のキャラクターが美術史上有名な作品の中に入り込む。

 ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」が「モニカの誕生」になり、カラヴァッジョの「バッカス」が酒を飲む場面は食いしん坊の「マギー」がアイスクリームを食べる場面となる。ジミー・ファイブがミケランジェロの「天地創造」の中に入り込んでアダムとなり、スマージーはマネの「シャボン玉を吹く少年」役。フランクリンの役割はレンブラントの「テュルプ博士の解剖学講義」に入り込んでウサギのサムソンを解剖すること。申潤福(シン・ユンボク)の「端午風情」の中ではモニカの仲間たちが水辺で顔を洗ったり、ブランコに乗ったり、ひそひそ話をしたりしている。

 ダ・ヴィンチの「モナリザ」、ボテロの「モナリザ」、ソウザの「モナリザ」を見た後には、彼らの作業が決して軽くは感じらない。南米の芸術家たちは常に、西洋の美術史の中に自らが創造した人物を代入することで生じる「居心地の悪さ」の効果を意識していた。植民地としての経験と西欧文化の移植を経験した国の芸術家が、その移植された脈絡の中に自身の顔をそっと置いてみたということだ。これは、ギリシャ哲学をはじめに学んだ韓国の哲学者が、自分の物語を西洋哲学の脈絡の中に置いてみるのと似ているのではなかろうか。考え、学ぶ方法を学んだため物語は自然につながりながらも、私たちが抱えている別の問題や脈絡が、物語を少しこじれさせてしまうケースもある。その隙間で生じる摩擦は居心地が悪いが、実際に私たちが抱えている問題を探り解決するための糸口も提供してくれる。

チュ・イル (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/1043727.html韓国語原文入力:2022-05-20 19:30
訳D.K