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日本の元祖カプセルホテル、カプセルを残して消える

登録:2021-07-23 07:28 修正:2021-07-23 09:24
黒川紀章の分身のような作品 
個別に交替可能な有機的設計 
世界の建築界におけるアバンギャルドの代表 
 
都市の会社員の避難所として脚光 
「組み立て式住宅」の流行まで作る 
50年経過し老朽化により下半期に撤去
1972年の完工当時、世界の現代建築界から大きな注目を浴びた東京銀座の中銀カプセルタワーを下から見上げた様子=ノ・ヒョンソク記者//ハンギョレ新聞社

 全世界の「カプセルホテル」の元祖が消える。永遠に失われるのではなく、カプセルは残る。それはまさに、建物を構成する140個の立方体のカプセルと、その中に込められた建築家と住居・業務の記憶だ。

 1972年、世界の建築界に当代のアバンギャルド(前衛)建築の麒麟児のごとく登場した、東京都心の千代田区の銀座通りの入り口にある「中銀カプセルタワー」が、建設50周年を迎えてこの下半期に撤去されることになった。千代田区の都市デザイン事務所と建物の創作主体である黒川紀章建築事務所は、今月初めにそのような方針を公表した。代わりに、建物を構成する140個のカプセルを、クラウドファンディング(公開募金)を通じて1970年代初めの草創期の状態に再復元し、一部はミュージアムの展示品として、一部は宿泊用の空間として再利用することになった。

1970年代初めの中銀カプセルタワーの建設工事当時の様子。建物の構成要素である住居空間のカプセル1個がクレーンで引き上げられ、建物の骨格にはめ込まれている様子//ハンギョレ新聞社

 中銀カプセルタワーは、戦後日本特有の現代建築史の思潮であるメタボリズム運動を主導した巨匠建築家の黒川紀章(1934~2007)の分身のような作品だ。日本建築の父と呼ばれる東京大学の丹下健三教授の下で学んだ黒川は、30代の青年建築家時代に13階建ての建物のカプセルタワーを設計した。各空間の中にそれぞれベッドとトイレ、収納棚、テレビ・オーディオセットを取り揃えた140個の立方体のカプセルをボルトで組み立て、それぞれ様々な方向を向くよう集積させたもので、1970~80年代の世界の現代建築史を論ずる際には欠かさず登場する名作として挙げられてきた。

 家を人間が生活する居住用の機械とみなしたル・コルビュジエのモダニズムを基に、素早く変化・発展する都市に合わせ新陳代謝が行われるよう、建築物を有機的な概念で作らなければならないというメタボリズムが、カプセルタワーの建築の思想的な骨格となった。黒川は当初、建物を設計する際、都市空間と人々の居住状況の変化に合わせ、容易に個々のカプセルを入れ替え、常に新たに挿入できる有機的な建築を構想した。しかし、彼の意図は過去40年ほどの間、実現することはなかった。 カプセルの耐久期限は極めて短く、すぐに古く老朽化したまま放置されることになったが、機械の部品とは違って簡単には取り替えられなかった。その中で生活する人間の生活を、機械の部品の空間のようには簡単に替えることはできなかったからだ。

1972年に完成した直後に撮影された中銀カプセルタワーの姿。変化する都市環境に合わせ、建築物も進化・変形するという日本現代建築特有のメタボリズム思想を端的に具現化した代表作という評価を得た//ハンギョレ新聞社

 しかし、彼の構想は少し想定外の形で命脈を保つことになる。今見ても未来的かつSF的な想像力のあふれる造形イメージを持つこの建物のカプセルの要素が、都市の会社員の避難所として脚光を浴びたカプセルホテルの宿泊文化を生む母胎となったのだ。カプセルタワーに着眼したチューブの形のカプセル型客室で構成されたホテルが、1979年に大阪都心に初めて現れた後、1980~2000年代に日本全国を越えて韓国や欧州など全世界に広がり、いわゆる「スモールハウス」「タイニーハウス」のような組み立て式住宅の流行まで作りだしたのだ。

中銀カプセルタワーを構成するカプセル空間の内部。円形の窓を中心に、ベッドと椅子、オーディオと一体化した収納棚などがみえる//ハンギョレ新聞社

 カプセルタワーは5月にこれ以上の改修は不可能だと判断され、敷地の所有者に撤去が一任された。建物の中心をなす140個のカプセルは、それぞれ別の用途に解体され、博物館の展示品とは異なり、個別の住居用空間などに分割しリモデリングされ、分散する運命を迎えることになった。すでに2000年代に入ってから建物が事実上使用できなくなると、カプセルを解体し、フランスのポンピドゥーセンターなどの博物館に移転してほしいという要請も多かった。建築事務所側は、カプセルデザインの美学を多くの人々が体験できるよう、全世界の博物館にカプセルを展示するという計画を立てていた。すでに1980年代にモデルルームのカプセルの一つが、黒川が設計した埼玉県立近代美術館に展示されてもいる。解体されたカプセルは、日本と世界各地の様々な空間で、様々な用途で新たに生まれ変わるものと思われる。SFスタイルの名作建築物に似合う、独特のリモデリングとなるわけだ。

文・写真、ノ・ヒョンソク記者、写真・図版、中銀カプセルタワー提供 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/1004741.html韓国語原文入力:2021-07-23 02:33
訳M.S

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