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「私は感染した」…国連人権委員、コロナの嫌悪と差別を全身で経験

登録:2021-03-12 12:02 修正:2021-03-13 08:44
「城北区13番目の感染者」、国連人権委員が記録した感染後の生活 
社会的マイノリティになり「人間らしさの意味、『心で』気づく」
グラフィック=トン・ヘウォン//ハンギョレ新聞社
『私は感染した: 国連人権委員のコロナ感染日記]ソ・チャンロク著/文学トンネ刊//ハンギョレ新聞社

『私は感染した: 国連人権委員のコロナ感染日記』 
ソ・チャンロク著/文学トンネ刊・1万4000ウォン

 昨年3月、彼は「城北区(ソンブクク)13番目の感染者」になった。同月、国連体制学会に出席するため米国に行き、新型コロナウイルスに感染したのだ。ウイルスは生活を根こそぎ揺るがした。外部と徹底的に断絶され、病院で隔離治療を受けた。退院した後も後遺症に苦しみ、感染者というレッテルが貼られた。『私は感染した』を書いた国連市民的及び政治的権利委員会(自由権委員会)の委員であり、高麗大学国際大学院教授のソ・チャンロクさんの話だ。

 ソ教授は、コロナ感染者になった後のことを書いた。彼が病院に入院した期間に書いたメモ、SNSへの書き込みなどを土台にした。4部からなるこの本は、感染経路、確定検査の過程、病院での隔離、退院後の回復期で構成されている。コロナという感染病にかかって変わってしまった生活を示す「疾病描写」であり、感染者という差別と排除の対象となった人権専門家が書いた「コロナ人権報告書」ともいえる。

 コロナ感染者になった彼は、孤立と隔離の世界に移った。彼は陽性判定を受けた後、感染病患者を隔離して治療する陰圧病室に入院しなければならなかった。陰圧病室は外部と完全に遮断された空間だ。患者を24時間監視するカメラがある。そこで適当な治療剤がなくマラリア治療薬など様々な薬を飲み、「実験用マウス」になったかのように過ごした。毎日「死ぬかもしれないという恐怖と、私のそばに誰もいないという圧倒的な孤立感」に苦しんだ。3週間の入院期間中、白い壁を見つめ、天井を見上げながら、ぶつぶつとしゃべり続けた。胸の重苦しさとめまいという形で現れた心理的な問題のために精神科の治療剤を服用しなければならなかった。他人に自分の心理的な問題を話すのも容易ではなかった。「コロナに感染したことも話したくないのに精神疾患が生じたということまで言ったら、人びとがどう思うか、怖かった」

 彼をもっと苦しめたのは、コロナ患者に対する差別と嫌悪だ。インターネット上では感染者という理由だけで「ウイルス宿主」扱いし、無差別な「悪質なコメント」が絶えなかった。嫌悪は対象を変えて広まった。中国人から始まり、集団感染が起きた大邱(テグ)・慶尚北道地域、新天地イエス教、性的マイノリティと続いた。人々は「自分自身を守るために、無意識のうちに恐怖の感情を作り出して」いる。この時「人間の本性にある嫌悪」が現われる。「コロナ時局が長期化し、期限のない状況に疲れた状態で、私たちは互いに責任を転嫁し、防疫基準を守らない市民に怒りを覚える。失業者は急増し、就職活動者の喪失感など否定的なエネルギーが社会的に爆発した」

 嫌悪は排除につながり、烙印へと広がる。パンデミックの時期にあらわになった人権問題の一つが「社会的烙印」だ。2015年の中東呼吸器症候群(MERS)事態の時も同様だった。MERS患者の遺族と隔離解除者を対象にした相談結果によると、彼らが最もつらかったのは誤った情報による社会的烙印だったという。彼らは「完治後も病院に留まらなければならない苦痛と、退院後も家にこもり続けなければならない息苦しさ」を感じながら、つらい時間を過ごした。

 彼にも退院後、さらなる恐怖が押し寄せた。確かでない再感染の可能性、めまいのような後遺症、自分を不安に思うような人々の視線のために、堂々と道を歩きまわることができなかった。コロナに感染した被害者であるにもかかわらず、加害者になったような罪悪感とストレスに苛まれた。人々が「コロナを経験した自分を恐れるかもしれない」という心配も大きかった。当時、完治した後に再びコロナの陽性判定を受けた再陽性者に関するニュースが流れ、確認されていない怪談までネットに広まった。再陽性者は伝染力がないという政府発表がなされても、周りの人々は自分を避けていると感じた。感染者を眺めるネガティブな視線は「弱者を強制的に沈黙させる」。その沈黙は、「被害者が堂々と自分の権利を語って日常に復帰できる環境、被害者が被害者として尊重される社会」になってこそ初めて破られる。

 社会的マイノリティになってやっと彼らの人生が見えた。人権専門家として活動した彼にとって、コロナの治療期間は全身で学ぶ「人権学習」の時間だった。難民、障害者、性的マイノリティなどが差別と排除をされた時、どんな気持ちだったのか、人々の冷たい視線をどのように感じたのか、少しは分かるような気がした。どんな状況でもすべての人間が人間らしく生きることができるかを、以前よりも深く考えた。人権はひとえに「共に」という価値の上でこそしっかりと立つことができるということも再確認した。「これまでの人生が人権について『頭で』探す過程だったとすれば、コロナ感染の経験は人間らしさとは何か『心で』悟らせてくれた」

 コロナによって強制的に休みながら、これまでの人生も振り返ってみた。世界の苦しむ人々、味方になってくれる人のいない弱者のための「大義」ばかりを考え、私をケアし、家族と時間を過ごすことをおろそかにしていたことに気づいた。やっと人生の重要な価値を自分に問い、答えを見つけた。「私が私を大切にし、家族と和やかに暮らすことが一番重要」であり、「人権もまた私と家族の尊厳を大切にすることから出発しなければならない」ということを。

 ソ・チャンロク教授は10日、ハンギョレの電話インタビューに応じ、「『私は感染した』という本のタイトルは、コロナ感染だけでなく偏見や差別など社会の誤った考えに感染した様子を意味する。これに必要なワクチンは人権教育であることを強調したい。コロナの状況でこの本を読みながら、人が人としての尊厳性持って共に生きていくことについて考えるきっかけになれば」と語った。

ホ・ユンヒ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/986511.html韓国語原文入力:2021-03-1209:25
訳C.M

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