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[インタビュー]「ベトナム民間人虐殺」で参戦軍人の孫娘、互いに異なる記憶を問う

登録:2020-02-18 02:01 修正:2020-02-18 08:37
[ドキュメンタリー『記憶の戦争』イ・ギル・ボラ監督インタビュー]

「私ははっきり見た。韓国軍だった」 
参戦軍人の孫娘と知りながら 
ご飯食べて行きなさいと勧めた生存者 
どうしてそんなに寛容でいられるのか… 
生々しい証言を映画に 

女性は「戦争」の話をしたらだめなんですか? 
「軍隊に行ってない女に何が分かる」と言われ 
公的記憶の大半が「男性の言語」で記録 
今度はひたすら女性の視線でアプローチ 
被害者の視点と考えを感じてほしい

韓国軍によるベトナム戦争での民間人虐殺事件を扱ったドキュメンタリー映画『記憶の戦争』のイ・ギル・ボラ監督が14日、ソウル麻浦区延南洞のあるカフェで、インタビューを前に写真撮影に応じてくれた=キム・ヘユン記者//ハンギョレ新聞社

 勉強で1等をとり、賞状や表彰状もたくさんもらっていた優等生が、高校1年を終えて突然学校を辞めた。学校では教えてくれない、もっと大きな世の中が見たかったからだ。自ら旅行資金を用意し、8カ月間インド、ネパール、チベット、ベトナムなどのアジア8カ国を旅した。帰国後にその経験を描いたのが短編ドキュメンタリー『ロードスクーラー』(2008)と著書『道は学校だ』(2009)だ。

 「おじいちゃん、私、ベトナムに旅行に行ってきたの」。勲章を誇りにしている元ベトナム参戦軍人の祖父は「ベトナムのどこに行ったのか」と問い、「わしもダナンに行っていた」と答えた。しかし、話はそれ以上続かなかった。祖父は何かを思い浮かべているようだったが、沈黙した。数年後、祖父はベトナム戦争の枯葉剤の後遺症によるがんで息を引き取った。

 韓国芸術総合学校で映画を学んだ彼女は、自伝的なドキュメンタリーを作った。両親は聴覚障害者だった。音が聴こえる人間として生まれた彼女だったが、口で話す言葉より手話を先に覚えた。「人は同情しますが、私が生きている世の中は至って正常で、きらきらしているという話を一番先にしたかったんです」。14日、ソウル延南洞(ヨンナムドン)のあるカフェで会ったイ・ギル・ボラ監督は言った。彼女の最初の長編デビュー作『きらめく拍手の音』は2015年に公開され、好評を得た。

韓国軍によるベトナム戦争での民間人虐殺事件を扱ったドキュメンタリー映画『記憶の戦争』のスチル写真=シネマダル提供//ハンギョレ新聞社

 デビュー作が公開されたその年の初め、彼女は再びベトナムに行った。ベトナムで韓国軍による民間人虐殺があったという話を聞き、もう少し調べてみようと思い「ベトナム平和紀行」に参加したのだ。1968年にダナン近くのフォンニィ・フォンニャット村で引き起こされた民間人虐殺事件の生存者、グエン・ティ・タンさんに出会ったのはその時だった。「タンさんは、私が参戦軍人の孫娘であることが分かっても、温かいご飯を食べて行けと言いました。あんなにひどい目にあっても、どうして寛容と和解を施すことができるのか理解できませんでした。ふと『この人のために何かしなければ。映画を作ろう』と思ったんです」

 数カ月後、グエン・ティ・タンは他の村の虐殺生存者とともに韓国を訪れた。市民平和法廷に証人として出席するためだった。イ・ギル・ボラ監督は、カメラを持って2人を追いかけた。ソウル光化門(クァンファムン)広場でのことだった。セウォル号のテントを見た彼女たちは「あれは何だ」と尋ねた。説明を聞いてすぐにテントに近づき、署名を集めている机の前に膝を曲げて座った。彼女たちは机から垂れ下がる布に刻まれた檀園高校の生徒たちの顔と名前を一つ一つのぞき込んだ。「彼女たちがベトナム犠牲者の慰霊碑の前でしていたことを、ここでも同じようにすることが分かりました。『彼女たちの態度から学ばなければならない。必ず映画化しなければ』と、もう一度誓いました」。

韓国軍によるベトナム戦争での民間人虐殺事件を扱ったドキュメンタリー映画『記憶の戦争』のスチル写真=シネマダル提供//ハンギョレ新聞社

 2016から2018年にかけて、ベトナムに何度も足を運んで虐殺の生存者たちの生々しい証言をカメラに収めた。耳の聞こえないディン・カムは手話で当時の記憶を語った。「私ははっきり見た。韓国軍だった」。話し言葉と手話の両方を駆使し、音のない世界と音のある世界の2つの世界をつなぐ人生を生きてきたイ・ギル・ボラ監督は、自然とディンカムの手話を理解した。後にディンカムの家族よりもディン・カムの言葉をよく理解するのを見て、村の人々は不思議がった。グエン・ティ・タンはその日の痛ましい記憶を切り出し、「必ず謝ってもらいたい」と言った。

 一方、ベトナム戦争に参戦した軍人たちは、依然として事実を否定したり、沈黙したりする。彼らの記憶はベトナム人の記憶とは違う。イ・ギル・ボラ監督のカメラは、参戦軍人を一方的な加害者と決め付けない。ただ、彼らの立場を淡々と見せるだけだ。「そもそも戦争の残酷さを告発する映画を作りたくはなかった。虐殺の真実を暴くのではなく、被害者たちと参戦軍人、韓国という国家の、互いに異なる記憶をどう見るかについて問いを投げかけたかったんです」。映画のタイトルを『記憶の戦争』(27日公開)としたのはそのためだ。

韓国軍によるベトナム戦争での民間人虐殺事件を扱ったドキュメンタリー映画『記憶の戦争』のスチル写真=シネマダル提供//ハンギョレ新聞社

 同作は監督、プロデューサー、スタッフ全員が女性だ。イ・ギル・ボラ監督は、そうしなければならないと思った。「これまで公的記憶のほとんどは男性の言語で記録されてきました。今回は非男性の言語、女性の視線でアプローチしなければなりませんでした。映画を作る時『軍隊にも行ってない若い女に、戦争の何が分かる』とよく言われました。戦争が起これば、最も大きな被害を受けるのは女性、障害者、子供たちなのに、なぜ私たちが話してはいけないのですか? 彼らの話を記録するのが私たちの役目だと考えたわけです」。

 グエン・ティ・タンさんは映画の最後で「参戦軍人が来て手を握ってほしい」と語る。しかし、誰も彼女に心からの謝罪をしない。「韓国とベトナムの外交問題は複雑に絡み合っており、簡単に解決できるものではないと言われます。しかし、彼女たちが望むことをしてあげなければならないと思います。『日本軍慰安婦』の被害女性たちがお金より日本政府の心のこもった謝罪を願っているように、彼女たちも同じなんです。被害者の視点から眺め、考えること、映画を通じてそれを感じてほしいですね」。

ソ・ジョンミン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/928559.html韓国語原文入力:2020-02-17 17:16
訳D.K

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