原文入力:2009-09-30午後10:21:07
escウォーキングマップ11.安東(アンドン)旧都心の文化遺産
安東駅から旧市場・太師廟を経て臨淸閣・新世洞 塼塔(*)まで5km
(*)塼塔:レンガ造りの塔
イ・ビョンハク記者
←安東駅そばの東部洞5層塼塔(宝物56号)と幢竿支柱. この塼塔は本来は7層だった。
“古代~近代遺跡がこれでもかというほど敷き詰められているので、慶州より見るものが多いなんて話も出るんじゃないか”安東大博物館チョ・キュボク学芸研究士は安東が「慶州に次いで文化財が多い所」と話した。慶州が新羅遺跡中心ならば、安東には旧石器遺跡から仏教・儒教・民俗文化遺跡が均等に広がっている。旧都心周辺にも文化遺跡が並んでいる。安東駅から歩きを始める。旧市場路地を経て洛東江辺線路そばの臨淸閣・7層塼塔まで行く。
安東駅そばの観光案内所で地図をもらって駅内に入る。内側に蒸気機関車時期の近代遺跡が一つある。線路をいくつか渡れば展望台に似た暗くじめじめした12角のセメント構造物が待っている。日帝強制占領時期(1940)に建てられた給水塔①(登録文化財)だ。水を汲み上げ貯蔵しておき、水圧を利用して蒸気機関車に水を供給した。全国の駅に20ヶ余りが残っているが、たいがいは見苦しく放置されているという。駅を出てそばの駐車場に行く。レンガを焼き積みあげた優雅な東部洞5層塼塔②(宝物)と幢竿支柱③が立っている。塼塔は本来は7層だったが現在は5層だけが残っている。統一新羅時代の寺刹,法林寺址だ。塼塔は中国で流行した塔だ。韓国では石塔,日本では木塔が主流だ。
←地図グラフィック デザイン モッジッ. (※クリックすればさらに大きく見ることができます。)
安東旅行ならでは醍醐味 塼塔鑑賞
駅前の踏切を渡り安東旧都心に入る。安東の主要都心は安東城があった旧都心(旧市場)と泉里川堤防を越えた新市場通り,そして最近新しく繁華街に浮上した玉洞地域だ。旧市場路地へ行く途中、飲食街を通る。塩サバ屋・チムダク(鶏の蒸し煮)屋もあるが韓牛炭火焼カルビ屋などが特に多く見える。そうだ、安東はまた韓牛飼育頭数が道内で慶州の次いで多い所だ。安東が慶州よりさらに多く持っているのは何か。塼塔だ。安東は塼塔の都市だ。国内5ヶの塼塔中3ヶが安東にあり、塼塔の場所や模塼塔(塼塔を模倣した石塔)も夥しい数がある。慶州には塼塔はない。
文化の通りに入る。車のない通りにファッション店・カフェが並んでいる。旧都心は玉洞新市街地の形成により威勢が弱くなったが、ファッション1番地の名声だけは相変わらずだ。週末の夕方、文化の通り広場では音楽会も開かれ各種の公演が行われる。南門洞通りを過ぎて旧市場側に歩く。南門洞は旧安東城(安東都護府)南門があった所だ。南門楼閣には新羅聖德王(33代)の時に作られた美しい鐘が吊ってあったという。この鐘は朝鮮世祖の時、王室の寺となった五台山,上院寺に移された。この鐘が国宝36号上院寺銅鐘だ。安東城は城郭・門などは痕跡もなく消え町内の名前と標示石だけに残っている。
←安東‘旧市場’天ぷら・トッポッキ路地.
市場路地に入るとおいしそうな匂いでいっぱいだ。トッポッキ・スンデ・天ぷら路地にチムタク路地④が続く。乳母車を押す夫婦も自転車に乗ったおじいさんも、ママの手をにぎった子供も舌鼓を打ち立ち止まる。安東チムダク1羽2万ウォン。
←安東布(アンドンポ)。‘安東名産’のハンコの下に機を織った人の名前を書いてある。
市場を出て大通りを渡り射場堤に行く。10余年前、覆蓋した泉里川土手通りをはさんで旧市場側と新市場側に分かれる。旧韓末に弓術を磨いた場所に積んだ堤防だ。死刑を執行した場所だったとの説もある。射場堤下側の路地が布廛路地⑤だ。有名な安東布が取引される所だ。日帝時から布商が集まり形成された市場だ。何年か前までは市の日(2の日,7の日)の明け方には、家で機を織り布を頭に載せてやってくるハルモニたちと商人たちで混雑したと言われる。今も路地に残っている布商は五軒。母親に続き30年間店を開いているという安東布商会イ・マニ(59)氏は「店が減り価格は騰がったが、そうするうちに今は中国産の贋物が大半を占める」として残念がった。この頃も直接織った布を持ってくるハルモニたちが結構いるという。安東布1ピル60万ウォン程度,中国産は10万~30万ウォン.
←大師廟宝物閣に保管されている‘荔枝金帶’.恭愍王が下賜した腰のベルトだ。荔枝金帶と牡丹金帯・扇・緋木杯など22点が宝物451号に指定されている。
市庁付近の北門三叉路で北門址の標示石を見て大師廟⑥へ向かう。安東(旧名 永嘉・吉州・福州)の歴史の中心には三姓氏が位置している。安東金氏・安東権氏・安東張氏だ。後三国時代に王建を助け後百済甄萱(キョン・フォン)をはね除けた三功臣、すなわち三姓氏の先祖にあたる金宣平・權幸・張貞弼の三大師の位牌を祀ったところが大師廟だ。境内の宝物閣には金装飾の腰ベルトなど恭愍王からの下賜品と三姓氏家に伝えられた遺物22点(宝物)が保管されている。解説士が常駐している。
大師廟を出てしばらく歩き雄府公園⑦裏口に入る。旧官衙があった所だが公園になった。公園には800年余り風霜を経てきた府神木と呼ばれる巨大なケヤキがある。昔、安東府使が赴任すれば先ず最初にこの木に儀式を捧げたという。公園内には伝統文化コンテンツ博物館⑧,安東文化院もある。コンテンツ博物館は遺物のない博物館だ。安東全体の文化財を映像にしてゲームなど多様な方式で見せ体験させる映像博物館だ。安東文化院の前庭では月~金曜日の夕方、李退溪先生の運動法として知られる‘活人心方’無料講習が開かれる。
安東城東門址と安東ボーリングセンターの前をすぎ、臨淸閣に行く。法興橋に続く高架道路の左下側だ。右側に線路を見て歩けば鯨の背中のように広く立派な韓屋建物が近づく。朝鮮中期に建てられた固城李氏宗宅の臨淸閣⑨とまた別の固城李氏宗宅の塔洞宗宅⑩、そして国宝16号‘新世洞7層塼塔’⑪が集まっている。
←門から覗き見た臨淸閣(宝物182号)君子亭. 別堂型亭子だ。
臨淸閣はいわゆる99部屋の両班住居だったが、今は70間程度が残っている。母屋・舎廊棟・行廊棟と大小の中庭の配置が異彩を放つ。臨淸閣の表札板文字は退渓先生のものだ。別堂型亭子の君子亭の中には李賢輔·李恒福などの詩扁額が懸かっている。この家から大韓民国臨時政府国務領(国家元首)を務めた石洲 李相龍など九人の独立運動家が輩出されたという。霊廟建物はあるが位牌を祀ってはいない。管理人イ・サンドン(50)氏は「李相龍先生が独立運動のために満州に発つ時、最後の祭事を上げ神位を土に埋めてしまった」と話した。
4大河川を生かす前に文化財から先ず生かせ
現在の臨淸閣門は門ではなく中門だ。日帝強制占領期間に鉄道が広場を貫通し数十間の建物と門が消えた。鉄道の向こう側の道路のまん中には胴を切られたフェナムの大木が保護金網に閉じ込められている。イ氏は「この場所が家の中庭だった」として「樹齢400歳になる保護樹だったが2年前に誰かが切り捨てた」と言った。
国内で最も大きく古い塼塔である‘新世洞7層塼塔’は見ただけでも大変危なかしい。塔の横に遮断壁を作った線路の堤がくっついていて見るだけでも息がつまる。塼塔も臨淸閣も以前のように広く開けた洛東江の水路を眺めることができる日はいつ来るだろうか。4大河川事業よりは文化財生かしがはるかに差し迫っているように見える。 ここまで5kmを歩いた。
ウォーキング メッセージ
◎首都圏から嶺東高速道路に乗り原州晩鐘分岐点で中央高速道路に乗り移り西安東出入り口から出て市内に入る。安東駅のそばに駐車場がある。1時間1000ウォン。ソウル~安東3時間所要. 清涼里駅~安東駅4時間~4時間30分. 安東駅(054)856-7788.安東市外バスターミナル(054-857-8298)も安東駅のそばにある。 東ソウル~安東3時間所要.
◎ウォーキング到着点の新世洞7層塼塔から鉄道陸橋に出て安東ダム側に1km余り行けば月映橋を渡り石氷庫・民俗村・安東民俗博物館・ドラマセット場などを見られる。しかし9月末現在、歩道・自転車道路工事が行われており歩くには適当でない。月映橋を渡る前の路上にホッチェサッパプ(祭祀飯)・塩サバなどを出す専門食堂が集まっている。
◎法興寺(ポプンサ)交差点は40余年間スタ麺だけを供してきた中国飲食店. 八道プルコギ会館(プルコギ・冷麺) (054)857-6741,エッマウル(昔の村)(もやしヘジャンクク) (054)859-2691.臨淸閣では古宅宿泊体験ができる。行廊棟など1泊5万~10万ウォン,君子亭(部屋3ヶ+床) 1泊20万ウォン. 臨淸閣(054)853-3455.
安東=文・写真イ・ビョンハク記者leebh99@hani.co.kr