あるドイツ人の話
(邦題:ナチスとのわが闘争-あるドイツ人の回想1914-1933)
セバスチャン・ハフナー著 イ・ユリム訳
トルペゲ刊・1万6000ウォン
1933年に執権したヒットラーのドイツ政権掌握過程と、その後の野蛮で暴力的な「第3帝国」建設期間に、ドイツ人は果たしてどこにいたのだろうか? 1933年3月5日の選挙の時にもドイツ人のうち半分を超える人がヒットラーに反対票を投じた。 第2次大戦前の最後に行われたその選挙で、ナチは得票率44%(前回選挙での支持率は37%)で、事実上敗北した。 56%がナチに反対した。 しかし、ナチが振るったテロの恐怖と不安の中で大衆はあまりにも容易に屈服し、熱烈なナチ支持者に急変していった。
ドイツの作家セバスチャン・ハフナー(1907~1999)の『あるドイツ人の話』は、それこそ「強盗と殺人者が国家権力の服を借りて着て警官として登場」したナチ執権までのドイツ史を見渡す。 1914年の第1次世界大戦勃発から1933年の“ナチ革命”初期段階までだ。 その手法が独特だ。 プロイセンの高級官僚だった父を持つ“ブルジョア少年”だった7歳から31歳まで、著者自身の個人史的体験を基本軸として、「過去には第3帝国を作り、現在でも見えないところでその背景となっているドイツ人の心理的発展・反応・変化」を追跡する。
“今日”とは、著者がこの本を執筆した1939年だ。 彼はまさにその前年である1938年にドイツを脱出し英国に亡命した。 したがって当時の“現場体験”を土台にしたこの本のドイツ社会の雰囲気描写は、他のいかなる本より生々しく豊富で正確だと言える。 それでも描写は終始冷徹で落ち着いた姿勢を失わない。
「凄じいことがゆっくりと迫っているのに、油断して彼らの敵(ヒットラー)が日常的に破って憚らない規則に当てもなく依拠して」反ナチ抵抗勢力はいっそのこと、ヒットラーに“責任(権力)”を譲り渡すことによって彼を極悪な暴力追求者から“有害でない”存在に変えるという安易で無責任な戦略を採択した。 その上、ヒットラーが総理になるとは夢にも思わなかった著者とその父親のように、多くのドイツ人はヒットラーが執権しても長くは続かないだろうと信じて疑わなかった。
「ヒットラーを代弁者として前面に出した概して反動的な政府は、ヒットラーという添加物さえ除けば、ブリューニング以後に続いた二つの政府とそれほど違わない。 いくらナチを引き込んでも、彼らは議会の過半数に至らないだろう。 もちろん議会をいつでも解散することはできる。 だが、国民の過半数も政府に明確に反対意志を表明した。 特に労働者は慎重な社民主義者たちが最終的に恥をかいた後におそらく共産主義的に変わるだろう」。そうしてナチ党の閣僚が彼以外に2人だけのヒットラー政権がいくら急激に反革命を推進して反ユダヤ主義を叫び軍備拡張を推進しても、最後の砦である国民の絶対多数がナチに反対している以上は破局的状況には至らないだろうと予想した。
だが、それは誤算だった。 ドイツ民族主義を前面に掲げたナチは、執権後に政党を解散し有名学者と文人を“民族反逆者”の名で追放し、俳優と放送人を除去し、書籍、新聞、雑誌を廃刊させるなど矢継ぎ早に追い立てた。殺人や放火も辞さない露骨な暴力を動員して“アカ”とユダヤ人を悪魔化する宣伝扇動を通じて、反対者たちを無慈悲に抹殺した。 第3帝国建設の推進力はナチの暴力だけではなかった。 56%の支持を受けた反対政党と組織、彼らの指導者の卑劣と変節がナチを助けた。 抵抗勢力指導部の卑劣と道徳的破綻、無気力、変節は、左右を区別しなかった。 ナチに反対した人々までも自分たちの安全を保障する抵抗拠点が消えた状況では、大勢化したナチ側に大量に投降した。 恐怖と神経衰弱の兆候の中で労働者までも数十万人が社民党や共産党を捨てナチ突撃隊になった。
「ナチの敵が予想したことは一つも当たらなかった。 彼らはナチは勝てないだろうと主張した。 ところが実際にはナチが勝った。 ナチの敵は誤った。 したがってナチが正しい」。左派にとって、全てのことは資本主義のせいではなくユダヤ人のせいになった。 数百万のドイツ人の神経機能が一度に崩壊し、絶対的な第3帝国は世界の悪夢になった。
『あるドイツ人の話』は今日の日本を想起させる。 安倍の改憲作業は最終的に国民投票を経なければならないだけに、国民の半分以上が反対している状況では不可能だという。 安倍が総選挙で圧勝したとは言うが、低調な投票率で実質的支持は有権者の30~40%に過ぎないとも言う。 だが、ドイツ第3帝国の成立過程を見れば、それほど楽観してはいられない。 「ユダヤ人をぶっ殺せ!」というその時の叫びが、今日の日本で堂々と溢れている「チョウセンジンをぶっ殺せ!」という野蛮とどれほどの違いがあるだろうか。 右翼による野党議員落選運動と日本の外交政策批判者に対する殺害威嚇が公然と強行されている日本。 だが、国家情報院が大統領選挙に介入し、現役国会議員を“内乱陰謀”疑惑で拘束した上に、その所属政党の解散審判請求訴訟まで行う違憲的事態にもまともな抵抗すらできない韓国の地の状況もまた、どれほどの違いがあるだろうか。