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[esc] 暮らしたい家 10年かけて一人で建てた‘森の中の王国’

登録:2013-10-03 20:06 修正:2013-10-04 06:36
コスモスの向こう側にチャン・クモク氏が人生を建てるかのように10年かけて作り手入れした江原(カンウォン)麟蹄郡(インジェグン)鎭東里(チンドンリ)のヨンガリ清浄の地が見えている。

 麟蹄郡(インジェグン)の山のふもとに、重機を使わずに家を建て、亭子と池を作り完成したチャン・クモク氏の民宿‘ヨンガリ清浄の地’チャン・クモク(50)氏は渓谷で一人で暮らしている。 五台山(オデサン)の山並と芳台山(パンデサン)の山裾が出会う所に‘ヨンガリ清浄の地’と名をつけた家を作って暮す。 村の人々は彼女の家を 「女手一つで10年かけて建てた家」と呼ぶ。

 クモク氏が江原道 麟蹄郡 鎭東2里に入って来たのは30才ぐらいのことだ。 理由はこうだ。 生まれつき病弱だった彼女はいつも頭痛に苦しみ、腎臓には石灰質が貯まっていると言われた。 田舎で野生のように暮したかった。 そうすれば病気が治ると考えた。 お母さんに「後で農夫と結婚しようかと思う」と言うと、驚いたお母さんがソウルに暮す大叔母の家に行かせてしまった。 クモク氏が17才の時ことだ。 それでもどうしようもなかった。 からだが弱かったので心もそうだった。 占ってもらうと30歳までも生きられないだろうと言われた。 「どうせ死ぬなら自分が望む人生を過ごさなければならないと言いました。 不思議なことでした。 鎭東里に来る前の人生は他の惑星で起きたことだったみたいです。 何一つとして重要なことはありません。 薬草を掘って栽培し、家を作って花を育てて、そんなことだけが私の人生の全てなのです。」他の惑星、鎭東里での人生はそんな風に始まった。

冬、亭子のペチカを直す様子

 ここに来てから初めの10年余りは渓谷の下の村で暮らした。 畑と家を急に買い入れましたたが、帰村とか帰農とかいう言葉もない時期でした。 女一人で田舎に下り暮すと言えば、村の人たちはたいそう不思議がりました。 「ドレスに高い靴を履いて、ひさしの帽子をかぶって座って農作業を見様見真似で習いました。 花壇を育てる時も、マニキュアがはがれないように、手袋も色々はめてしましたよ。 ある日このように生きてはだめだと考えて、みんな投げ捨てました。」 身一つで頑張ってみても女一人で農作業で暮らすことは到底望めなかった。 民宿を始めた。 鎭東里には民宿が一つもなかった時期で、数年で定着できた。 クモク氏が始めた‘丘の上の白い家’は旅行者の間で結構名が知られた宿舎になった。

渓谷の水を引き上げて作った泉に貯められた水は再び渓谷に戻る。

 そのまま暮しても良さそうだった。 ところがある日、おなじ寺に通っていた人に口説かれた。 ヨンガリ渓谷に家を一軒建てようとしたが思い通りにならないので、売りたいということだ。 石が敷かれた山道をしばらく上がらなければならない上に、建ててはみたもののグラグラしてやめた家を買うという人はいなかった。 ところがなぜかクモク氏は気に入った。 「冗談のように‘我が家と取り替えますか?’尋ねたところ、この家の主人が‘いいですよ、取り替えましょう’と言ったのです。 以前の家では生活は安定したものの、私はその家が好きではありませんでした。 村のすべての台所の窓が我が家に向かっていました。 私だけの世界が欲しいと思いました。 私だけの王国を作ろうと思ったのです。」

以前の主人が残した柱に黄土を塗り
外壁と窓を自分で作った
暇が出来るたびに手直しし拡げて
蓮池と星を観る場所も完成した

 しかし、お客の多い民宿と対等交換したクモク氏の王国‘ヨンガリ清浄の地’を直すことは決して簡単ではなかった。 「引越し荷物をまとめて来てみると、柱は立っているのに柱を支える礎石がありません。 床はできていると聞いたのに、土間にボイラー管が置かれているだけでした。」 しかたなくソウルに住む家族に助けを乞うた。 一ヶ月間、屋根と壁を作って1階は100㎡の部屋4部屋、2階は33㎡余りの二階家として完成した。 以前の家主が立てておいた柱はそのままにして壁は黄土で塗った。 外壁は全てクモク氏が自分で作った。 大工さんたちは‘本当にごちゃごちゃに作った’と舌を打つが、クモク氏が暇が出来るたびに直して拡げて暮らすには困らない。 助けに来た兄さんはクモク氏が大工仕事はもちろん、一人で泉から水道を引いてくるのを見て、かえって安心して帰ったという。

1階の玄関の壁にあるドアを開ければ、2階に通じる秘密の階段が現れる。

 「電話線も私が自分で引いてきました。 私にはそんなことは本当に簡単です。 築台をたてて広場に水路を出して、花や木を全部植えて、暇さえ出来れば窓も作りました。私はここで天地創造をしたのです。 今春のある日、見ると家がとても大きくなっていました。 その時、初めて私が気が付きました。いったい何をしでかしたんだろうって。」 この家は毎年大きくなる。 1000㎡余りの広場にはぐるっと巡るように‘春亭子’ ‘夏亭子’ ‘冬亭子’と名前をつけた3つの亭子がある。 全てクモク氏が季節ごとに作ったものだ。 家の後方の3630㎡の畑は菜園で山でする火田のようなものだった。 今は雄宝香(菊の一種)やトックリイチゴでいっぱいだ。

 昨年は家の裏に小さな池を作って、2階のベランダに‘星を観る場所’も作った。 家に遊びにきたお客さんは、ベランダに並んで横になりカシオペアやペルセウス、そしてその間の星の群れの話を聞くことになる。「星と仏法と自由の三位一体が完ぺきだ」と自賛するクモク氏王国の夜だ。 誰も来ない漆黒のような夜には、広場にはクモク氏が育てる4匹の珍島(チンド)犬だけがうろつく。 時々、山カササギが窓をたたく孤独な山奥だ。 実際クモク氏自身は1階は民宿として運営し、春なら薬草を掘り、夏なら実を取って、秋にはキノコを掘るので孤独になる暇もないという。

ヨンガリ清浄の地を守るウルガンとキャンディ.

 "人生で恐怖が最も大きな敵と言うが、本当にそうみたいです。 山に行けば突然恐ろしいことに出会います。 氷った岩の上から滑って死にそうになったことも何度もあり、猪に出会ったり、ヤマネコに出会ったり、恐ろしいことは常に起きます。 冬に買い物をしに出かけて、一人で帰ってくる時は孤立している感じで、胸で涙することも何度もありました。 でも今は何ともありません。 克服しましたよ。 恐怖を克服してみようと挑戦しました。」 ‘死ぬ時は死んだ草のように一人で横になってしまう’というクモク氏だが、この頃はむくっと立ち上がった。 東洪川(トンホンチョン)と襄陽(ヤンヤン)を結ぶ高速道路が建設中だが、その余波がヨンガリにも襲ってきた。 渓谷に橋脚を立て泥水が押し寄せて来た。 村にレミコン工場まで建ち鎭東里が騒がしくなった。 98世帯の住民は建設反対と賛成の立場に分かれた。 子供たちが泥水の渓谷で遊ぶのを見て、正気を失ったクモク氏は対策委員会を作った。

 9月25日、鎭東2里の村11世帯の住民たちが集まった。 住民たちは工事で掘り返された渓谷の話や、いいかげんに覆われたテントの間からセメントの粉が流れ出たという話をやりとりした。 この日、村を訪ねたある環境運動家は開発で水の流れが変わった渓谷と、工事現場から押し寄せて来た土砂のために呼吸困難を起こした魚の話を伝えて憤りを加えた。 江原道(カンウォンド)に下って来る時は平和に生きようとだけ思った。 家を建てる時は、最後に超人的に頑張れば良くなり得た。 今は再び村の問題だ。 家を作って生きる人は、家の内と外を全て世話しなければならない。

麟蹄/ナム・ウンジュ記者 mifoco@hani.co.kr イ・ジョンア記者 leej@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/specialsection/esc_section/605550.html 韓国語原文入力:2013/10/03 14:13
訳J.S(3344字)