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帝国が衰退するとき 【寄稿】

登録:2026-07-16 06:11 修正:2026-07-16 09:30
2026年6月23日夜、米国ニューヨーク市のマムダニ市長(左)が、「米国民主社会主義者」グループ所属で連邦下院議員の民主党予備選で勝利したジュバリエ候補の手を握り、笑みを浮かべている/AP・聯合ニュース

 米国で「民主社会主義」の流れが躍進しているのは驚くべきことだ。ニューヨーク、コロラドなどで相次いで「米国民主社会主義者グループ」(DSA)のメンバーたちが民主党下院議員候補に選出されている。共和党と民主党の主流派が二分してきた米国政治において、かつてない現象だ。

 こうした米国政治の印象的な変化をめぐり、韓国国内でも意見が分かれている。韓国の進歩(革新)勢力も巨大政党内で分派として活動する方策を模索すべきだという声があがる一方で、米国のDSAに倣い、韓国国内にも「社会主義」の理念を前面に掲げる政治勢力が登場すべきだという主張もある。いずれもそれぞれの悩みから生まれたものではあるが、米国政治の変動が物語る最も深遠な歴史的意味を見落としている。それは、地球の秩序を支えてきたアメリカ帝国の衰退が、今や本当に取り返しのつかない段階に達したという事実だ。

 20世紀の幕開けにおいて、グローバル資本主義の秩序は依然として大英帝国の覇権に依存していた。しかしその一方で、ドイツなどの新興列強の挑戦により、唯一の覇権国としての地位が揺らぎ始めていた。英国で労働組合と社会主義勢力が初めて独自の政党である労働党を結成したのが、まさにこの頃だった(1900年)。労働党は結党後も、しばらくの間は自由党の下位パートナーに過ぎなかった。それでも自由党は労働党の登場を軽視できず、そのため1909年に慌てていわゆる「人民予算」を発表し、初歩的な福祉・再分配政策を導入した。

 しかし、国内からの挑戦はますます強まるばかりだった。第一次世界大戦が勃発する直前の4年間(1900〜1914年)、3つの産業部門(鉱山、鉄道、港湾)を中心に産業別労働組合が急成長し、大規模なストライキが急増した。世界大戦を経て英国の覇権の衰退を痛感することとなった1918年、労働党はついに社会主義を党の目標として明記した党規約第4条を採択し、1922年の総選挙と1923年の総選挙で相次いで30%台の得票率を記録して、自由党に代わる保守党の新たなライバルとして台頭した。1926年には、それまで労働運動を牽引してきた産業別労働組合の主導により、英国社会を文字通り一週間「停止」させたゼネストが発生した。

 こうした英国国内からの異議と圧力は、ただでさえ萎縮していた大英帝国の世界的な後退をさらに加速させた。英国労働党が原則ある反帝国主義勢力だったわけではないが、かといって労働党の成長とインド独立闘争の活発な展開との間に何らかの関連性があったという事実を無視することはできない。英国国内で権力の再編と富の再分配を求める声が高まるにつれ、大英帝国の縮小は避けられないという認識がエリート層の間に広まった。そして結局、第二次世界大戦直後に「福祉国家」英国の登場とともに、帝国の王座は大西洋の向こうへと完全に移っていった。

 今日の米国における左派政治のブームは、一世紀前に英国国内で起きたこうした変化を彷彿とさせる。当時と同様に、衰退する帝国は外部からの挑戦(中国、南半球)にも直面するが、もはや帝国の運営のための犠牲を受け入れようとしない国内の抵抗にも直面する。帝国内でのこうした反乱は、帝国外からの挑戦と複雑な関連性を持つ。両者の間の予期せぬ結びつきは、帝国が撤退した後の世界がそれでもなお、もう少し人間的で文明的な姿を示すことに貢献する。少なくとも前世紀はそうだった。今、米国内の左派に期待すべきは、まさにこのような宿命的な役割だ。

//ハンギョレ新聞社
チャン・ソクチュン|出版&研究集団「サンヒョンジェ」企画委員(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1268450.html韓国語原文入力:2026-07-15 19:34
訳H.J

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