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日本船舶が「ホルムズ海峡通航料」なしで通過した理由…「1953年の日章丸の友情」

登録:2026-05-01 06:38 修正:2026-05-01 07:56
先月8日、神奈川県川崎市の港に液化天然ガス(LNG)運搬船が停泊している/AFP ・聯合ニュース

 米国・イスラエルとイランの戦争以降、日本に向かうタンカーのホルムズ海峡通過を初めて許可したイラン政府が、「1953年の日章丸」に言及し、注目を集めている。日章丸は1953年、英国によるイラン封鎖を突破し、イラン産原油を日本に運んだタンカー。

 駐日イラン大使館は29日、ソーシャルメディアのX(旧ツイッター)への投稿で、「出光興産が所有する『日章丸』が、イラン産の石油を日本へ運ぶために1953年に行った歴史的な任務は、両国間の長きにわたる友情の証であり、そのレガシーは今日においても極めて大きな意義を持ち続けている」と記した。出光興産の大型タンカー「出光丸」が前日、日本に向かうタンカーとして初めてホルムズ海峡を通過したが、イラン政府が過去の事例を挙げてその意義を高く評価したものとみられる。

 出光興産がホルムズ海峡を通過できた背景には、日本とイラン政府の間で円満な協議があったためとされる。日本政府関係者は同日、メディアを通じて「政府間の協議による成果であり、通航料は支払っていない」と明らかにした。さらに、日本とイラン間の原油輸送をめぐる長年の「友好関係」も一役買ったものとみられる。

 イラン大使館がこの日言及した「1953年の日章丸」は、この友好関係を象徴するタンカーだ。

 1950年代初頭、国際資本が中東の石油資源を支配しており、イランの石油資源も英国の「アングロ・イラ二アン石油会社」(AIOC・現在のブリティッシュ・ペトロリアム)の管理下にあった。イランのモハンマド・モサデク首相が1951年、資源ナショナリズムや反外勢などを掲げ、国内の外国企業を含む石油の国有化を宣言したことを受け、英国はペルシャ湾に軍艦を派遣し、海上封鎖を行った。当時、イタリアのタンカーが英国海軍に拿捕(だほ)されることもあった。

 この時、出光興産の創業者の出光佐三氏が密かにイラン産原油の輸入に乗り出した。日章丸で目的地を知っていたのは、日章丸の船長と機関長だけだったという。日章丸は海上で無線をオフにし、イラン南西部の油田地帯近くにあるアバダン港へ静かに入港した。そして石油2万2千キロリットルを積み込み、英海軍の監視網をくぐり抜け、1953年5月9日に日本の川崎港へ帰還した。この事件直後、イランのモサデク政権が米国と英国によって転覆され、パーレビ国王が実権を回復したが、日章丸事件はイランと日本間の友好関係の象徴となった。

 その後も日本は、1970年代の中東オイルショック当時、西側諸国と中東の間で原油の需給に関するバランス外交路線を選び、イスラエルよりもアラブ諸国との距離を縮めてきた。1953年の日章丸事件をめぐる友好関係に加え、石油資源が不足する日本と、安定した買い手を必要とするイランの利害関係が70年以上にわたり維持されてきた。2019年、ドナルド・トランプ米大統領の第1期政権下で核問題をめぐりイランとの対立が激化すると、当時の安倍晋三首相がイランのアリ・ハメネイ師と直接会談し、仲介に乗り出したこともあった。

 今回の米国・イスラエルとイランの紛争にめぐっても、高市早苗首相は参議院予算委員会で野党議員の質疑に対し、「米国は同盟国であり、イランとも歴史的に関係を築いてきた」と答え、米国とイランの間で仲介役を務める意向を示した。

東京/ホン・ソクジェ特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/international_general/1256432.html韓国語原文入力:2026-04-30 10:35
訳H.J

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