「#性被害者のその後」
2019年、韓国において政治、文化・芸術・スポーツ、教育など社会のほぼすべての分野で「Me Too」運動が起きた翌年の日本では、「#性被害者のその後」というハッシュタグ運動があった。1995年、20代のときに性暴力被害に遭ったにのみやさをりさんがNHKの番組で「加害者は被害者が経験するその後の人生を知らない。これでは真の意味での反省も謝罪も不可能ではないか」と語ったのを見たある女性が、ソーシャルメディアでハッシュタグを作成したことで始まった運動だ。多くの被害者が「被害のその後」に経験した記憶、症状、感情をハッシュタグとともに打ち明けた。
にのみやさんは2017年、性暴力加害者の臨床治療を行う「榎本クリニック」で、加害者たちと向き合い始めた。手紙をやり取りした。「なぜ私だったのだろうか。どうしてこんなことを経験しなければならなかったのか」。にのみやさんは被害後、この質問を抱えて生きてきて、その返事を得ようとして、加害者との対話を選んだ。「修復的対話」の一環で行われた「加害者臨床治療プログラム」に本当の被害者が登場したのだ。7年間にわたり被害者が加害者と交わした対話と手紙で構成された著書『性暴力の加害者となった君よ、すぐに許されると思うなかれ』(日本語版はブックマン社より2024年に刊行、韓国語版は『被害者が加害者へ』のタイトルで2026年1月に刊行)には、被害者が経験する「その後」がびっしりと記されている。
2022年9月、性暴力被害に遭ってから27年後のにのみやさんが過ごす一日は、以下のようなものだ。「午前3時就寝。午前4時30分起床。午前7時45分、登校する息子と一緒に外出。その後のことは記憶が薄れ、はっきりと思い出せません」。昼にアートセラピーの講義をして帰宅した後も、「解離症状があらわれ、しばらく時間が飛んでしまいました」。にのみやさんはいまでも不眠に加え身体の痛みがひどく、鎮痛剤を常用しており、解離症状のため、時間も記憶も空白となることが多い。
この対話をまとめた精神保健福祉士の斉藤章佳さんは「被害者が『その後』をどのように生きているのかについては、被害の実態以上に知られてこなかった」と記す。2023年に日本で実施された自殺意識に関する全国調査では、性暴力被害の経験者の75%ほどが死にたいと考えたことがあるという結果が出た。性暴力被害の経験がない人の回答より35ポイント高い。
「『#性被害者のその後』で検索すると、瞬く間に数十件、数百件と出てきます。被害者には被害と被害のその後があるという事実を、常に心の片隅に置いていてください」。にのみやさんは加害者への手紙で、そして、対面で訴える。被害者と直接会わせ、何度も思い出させようと。
にのみやさんが加害者に投げかけたこの言葉は、社会に投げかける言葉でもある。性暴力犯罪は繰り返される。加害者の臨床現場では、その繰り返しのかなりの部分には、「加害者は被害者と被害を理解していない」という事実が作用しているとみられている。しかし、性暴力犯罪が発生すると、その後は司法手続きに頼るだけであり、被害の継続や回復には無関心だ。
韓国社会にも「その後」がない。2016年の「#文壇_内_性暴力」のMeToo運動の際、沈黙しなかったという代償として、キム・ヒョンジンさんは7年間、「1978年生まれ、パク・ジンソン」による虚偽事実流布の名誉毀損によって苦しめられた。2023年11月8日、加害者が懲役1年8カ月の判決を受け、刑務所に収監されるまで7年。キム・ヒョンジンさんはそれから9カ月たってようやく「詩を読めるようになった」という短い文章を残した。社会の女性嫌悪による暴力は続き、キム・ヒョンジンさんはときおり、その暴力を自身のソーシャルメディアで共有し、連帯した。そして、2026年4月、誕生日の数日後に亡くなった。
キム・ヒョンジンさんは詩が好きな20代女性だった。不当な攻撃のなかで自らを消耗させた7年が経過した後、キム・ヒョンジンさんが再び思う存分に詩を読み、春の日差しを浴びられるようにするためには、私たちは何をすべきだったのか。この不当な闘いがなぜ7年も続く必要があったのか、刑事司法手続きの問題点を指摘することはできなかったのだろうか。事件の真っただ中のとき、軽率にも加害者の安否を気遣った人たちが心から謝罪することはできなかったのだろうか。遅ればせながら、被害者が消耗してしまった時間をともに考え、ひとりで耐えていたヒョンジンさんの「その後」を一緒に歩んでいけなかった自分を責める。
パク・スジン|社会政策・ジェンダーチーム長 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )