「一日に数十回、あなたのインスタグラムを開いてる。そっちの様子はどう?」「緑のジャケットと白いシャツを着た若い方。あなたが忘れられないようにします」
29日夜、ソウル龍山区(ヨンサング)の梨泰院(イテウォン)広場は、追悼と共感の言葉で埋め尽くされた。「10・29梨泰院惨事市民対策会議」はこの日、(ハロウィーン行事の混雑による群集雪崩で起きた)梨泰院雑踏惨事から3年を迎え、緑莎坪(ノクサピョン)駅の梨泰院広場で朗読文化祭「声に出して」を開いた。市民対策会議とボランティアの活動家たちは、この3年間、市民たちが惨事現場に残した哀悼のメッセージを回収し保存する「梨泰院の記憶保管」活動を進めてきた。この場で遺族と生存者は淡々と、ときに震える声で、犠牲者に送る追悼の手紙を朗読した。
朗読を志願した市民たちは舞台に上がり、書き手のわからない誰かが伝えた慰めのメッセージを読みあげた。「臆病な私は今になってやっと来られた。本当にごめんね。あなたに似たウサギのぬいぐるみを持ってきたけれど、あなたが一番苦しかったここに置いておくことがどうしてもできなかった。あなたのように一番きれいで華やかな花を持って行くね」
家族や知人を失った人々のメッセージには「愛」という単語があふれていた。「おじいちゃんとおばあちゃんが来たよ。愛する孫、いつも会いたいよ」「本当に大好きだった担任の先生。謹んでご冥福をお祈りします」、「大好きな伯父さん。夢の中で一緒に遊びましょう」
生存者の傷は深く、被害者が感じるべきではない罪悪感まで抱えていた。「当時出動した救急隊員です。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。一生忘れません」、「私よりもずっと長い時間押しつぶされて本当に苦しかったことでしょう。どうか安らかな場所に向かわれるようお祈りします」
生存者のソン・ユジョンさんは「後悔と苦しさでいっぱいの状態のまま3年という時間が過ぎた。ヘイトにとらわれることなく、どうすれば安全に互いを思いやることができるのかから考える」と涙ながらに語った。ソンさんは「安全について守られていないことが多く、事故が起きた後も批判し合うばかりだった。私たちはみんな愛し合わなければならない存在だ」と伝えた。
遺族たちは3年の月日がたっても埋めることができない「悲しみと喪失感」を打ち明けた。故イ・サンウンさんの叔母のカン・ミンハさんは「3年がたっても、遺族が叫んでいる問いは一つも解決されなかった。『解決されていないし、すぐに解決されるようには思えないし、先のことはいまだに見えなくてもどかしいからだろうか』と思う」と語った。「それでも」とカンさんは続け、「市民の連帯」について語った。「いまも一緒に会って話すことができるのは、私たちの手を握ってくれて、一緒に歩いてくれる市民の方々のおかげです」。紫色のジャンパーを着て、明るくともったろうそくを市民たちと共に握った遺族たちは涙を拭った。