尹錫悦(ユン・ソクヨル)前大統領は1月23日、弾劾審判の第4次弁論に出席し、「戒厳解除要求決議が行われたことを受け、直ちに長官と戒厳司令官を私の部屋に呼び、軍の撤退を指示した」と主張した。尹前大統領は2月25日、弾劾審判の最終陳述でも「戒厳解除要求決議が行われた直後、即座にすべての兵力を撤退させた」と述べた。
尹錫悦は「直ちに」、「即座に」軍兵力を撤退させたと強調したが、これは事実とは程遠い主張だ。尹前大統領は2024年12月4日午前4時27分に戒厳軍を撤退させ、非常戒厳の解除を宣言した。国会が同日午前1時1分に非常戒厳解除要求決議案を可決してから、3時間26分後にようやく軍兵力を撤退させたのだ。
尹錫悦は2024年12月3日午後10時28分、非常戒厳を宣布した後、ソウル龍山(ヨンサン)の大統領室執務室に留まっていた。国会が非常戒厳解除要求案を可決すると、尹錫悦は直ちに兵力を撤退させる代わりに、大統領室のすぐ隣の建物である合同参謀本部(合参)に向かった。当時、合参の地下戦闘統制室では、キム・ヨンヒョン前国防部長官が4日午前0時から両手に電話機を持って内乱に動員された兵力を指揮していた。
尹錫悦は4日午前1時16分、合同参謀戦闘統制室にイン・ソンファン国家安保室第2次長とチェ・ビョンオク国防秘書官とともに到着した。午前1時20分、戦闘統制室の片隅に設けられた決心支援室に入り、キム・ヨンヒョン前長官、パク・アンス前戒厳司令官(陸軍参謀総長)、イン・ソンファン第2次長、キム・チョルジン国防部軍事補佐官らと会議を始めた。この場で尹錫悦は「まず国会議員から捕まえろと言ったのに」と言ってキム前長官を叱責し、「非常戒厳を再宣布すれば良い」と述べるなど、再戒厳の意思まで示した情況が軍関係者たちの陳述で明らかになった。
午前1時31分、イン・ソンファン第2次長が上官のシン・ウォンシク安保室長に電話した。「大統領が決心支援室に長く留まっているのは適切ではないので、秘書室長と共に早くお連れした方が良い」と建議した。シン・ウォンシク室長も、非常戒厳が解除されたのに大統領が軍事施設に向かったのは誤解を招く恐れがあると考えた。シン室長とチョン・ジンソク大統領秘書室長は午前1時46分に戦闘統制室に到着した。尹錫悦は午前1時49分、彼らと共に合参を後にした。尹錫悦は兵力撤退の指示を出さずに合参を離れた。
なぜ陸軍中将出身のシン・ウォンシク(陸軍士官学校第37期)室長と陸軍少将出身のイン・ソンファン(陸軍士官学校第43期)第2次長は、尹錫悦が決心支援室にいるのが適切でなく、誤解を招く恐れがあると判断したのだろうか。決心支援室会議は「2回目の戒厳」(の可能性)のために捜査機関とマスコミに注目されたが、将軍出身の人たちにとっては会議の場所と形式に大きな問題があったためだ。大統領が決心支援室に入った行為は、現役軍人で序列1位の合同参謀議長(合参議長)の権限と権威を踏みにじったことだ。決心支援室は、軍最高作戦指揮官の合参議長が重要な決心をするための場所だ。
合参議長は陸・海・空軍の平時作戦を指揮する軍令権を持っている。合参議長の最も重要な任務は、北朝鮮の挑発に対抗して闘い、勝つことだ。合参議長は軍事危機状況が発生した場合、合参の地下の指揮統制室、作戦統制室で状況を把握し、危機管理・対応にあたる。指揮統制室、作戦統制室には将軍だけでなく佐官級将校などを含めて数十人が勤めており、合参議長など指揮部が重要な意思決定をする会議を開くのは難しい。そのため、戦闘統制室の片隅に決心支援室が設けられている。約10坪(約33平方メートル)の決心支援室には会議用テーブルと椅子があり、各軍部隊を連結する通信施設も備えられているという。
合参議長が重要な軍事作戦の決定を下す時は、作戦本部長(中将)など合参の主要指揮部が決心支援室に集まる。決心支援室は文字通り、重要な作戦をめぐる合参議長の決心を主要参謀たちが支援する用途に使う会議施設だ。12月4日未明、尹錫悦は決心支援室の主であるキム・ミョンス合参議長を無視し、戒厳司令官に任命したパク・アンス陸軍参謀総長を連れて入った。尹錫悦が主宰した決心支援室会議は、有事の際、朝鮮半島における戦争を率いる軍最高司令部である合参を無力化させた行為だった。
尹錫悦は国軍統帥権者だったが、韓国軍の指揮体系と文民統制(シビリアン・コントロール)について初歩的な知識も持ち合わせていなかった。現在、韓国軍の指揮体系は、大統領が国民を代表して国軍を統帥するものの、国防長官を通じて軍を指揮統制する構造で設計されている。大統領と軍の間に国防部が存在する。軍統帥権者が軍を直接統率せず、内閣(国防部)を通じて軍を指揮・統制・監督するという構想だ。
これは第二次世界大戦後、民主主義国家が採択した普遍的な軍に対する文民統制方式だ。第二次世界大戦当時、ナチスドイツのアドルフ・ヒトラーのように軍が統帥権者一人だけの統制を受けた場合、民主的統制が行われず、民主憲政秩序を破壊する暴政の道具へと変わる危険性が高いためだ。尹錫悦は12月4日未明に大統領室から合参本部に移り、決心支援室会議を開き、軍に対する一人支配を宣言したわけだ。これは2回目の戒厳の懸念だけでなく、時代錯誤的かつ大韓民国の国格を損なう暴挙で、危険な行為だった。これについてシン・ウォンシク室長は、「戒厳が解除されたのに大統領が軍事施設に行ったことは、誤解を招く恐れがある」と述べた。罷免された尹錫悦は、まだ12月4日未明、合参の決心支援室で自分が何をしたのかさえもわかっていない。