北朝鮮の非核化が遠のいている。北朝鮮の核能力は数十基の核弾頭と多様な運搬手段を備え、もはや初歩的な抑制水準を越え、事実上の核武装国家に発展した状態だ。「永遠の戦略資産」として核が憲法でも明示されたうえ、何より朝ロ密着で対北朝鮮制裁が無力化され、非核化の推進力まで失われた。非核化を放棄することはできないが、現実的に北朝鮮の核の脅威をどのように抑えていくかを考えざるを得ない状況だ。私たちの前にどんな選択肢があり、最も望ましい代案は何だろうか。
現在、北朝鮮核問題に対する韓米の対応は拡大抑止と韓国軍の先端通常式(兵器)に基づく抑止を根幹としている。軍事的観点からは、現在の抑止戦略に決定的な問題があるわけではない。懐疑論者らは、北朝鮮大陸間弾道ミサイル(ICBM)を取り上げているが、冷戦当時、ソ連の数千機のICBMにもかかわらず、NATOの拡大抑止は崩れなかった。抑止は確実性ではなく、蓋然性だけでも作動するからだ。韓国軍の非核抑止に対する過度な悲観論も望ましくない。地下100メートルのバンカーを貫通する「玄武5ミサイル」を見ても、北朝鮮の計算式に影響を及ぼしかねない非核資産だ。抑止の本質は破壊力そのものではなく、どれだけ敵に恐怖を与えられるかがカギであることを理解する必要がある。
しかし、北朝鮮の核能力が絶えず高度化する中で、国民が抱いている不安を抑止態勢で完全に解消することは難しいのが事実だ。さらに考慮できる抑止オプションとして、戦術核の再配置が取り上げられるのもそのためだ。戦術核の再配置には、核兵器の可視性があることから、拡大抑止の信頼性問題を一部解消する効果はある。一方、さまざまな限界とデメリットがあるが、何よりも軍事的効用性に疑問がある。米国はグアム発電爆撃機や潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)など、必要に応じていくらでも北朝鮮に報復する手段をすでに持っている。そして、このような方式が軍事的により安定している。朝鮮半島に配置された戦術核は、有事の際、北朝鮮の第1標的になることで、リスク要因になり得るためだ。中国の反発と配置をめぐる国内政治的分裂も、韓国にとって戦術核の再配置が負担になる要因だ。
最も確実な抑止オプションは、韓国独自の核武装だ。ところが、核武装は当為性に対する評価は別としても、費用とリスク、そして技術的可能性の面でも良い代案とは言えない。核拡散防止条約(NPT)の根幹を揺るがす事案を米国が容認する可能性が極めて低く、そうであれば、対外依存度の高い韓国としては国際的な圧迫に耐えるのが難しくなるためだ。原子力発電に必要な核燃料の導入が遮断され、国内の電力生産に莫大な打撃が避けられないだろう。何よりもプルトニウムと高濃縮ウランなど核物質の確保が難しいだろう。国際原子力機関(IAEA)の監視体制で、密かに再処理をしたり、ウラン濃縮施設を建設することは不可能だ。したがって、これに対する解決策なしに核武装を主張することは、政治的な支持獲得のためのポピュリズムと言わざるを得ない。
残る代案は核潜在力の確保だ。韓国が安全保障の側面はもちろん、産業的観点からも、完全な核燃料周期(濃縮と再処理権限)を備える必要があるのは明らかだ。世論は、独自の核武装が難しいなら、少なくとも核潜在力の確保を求めている。産業的側面からも濃縮と再処理の力を確保すべき切迫した必要性がある。ウクライナ戦争以後、濃縮サプライチェーンの陣営化と核燃料の供給不足現象が現れているためだ。
カギとなるのは、核潜在力を核武装への経路と捉える米国をどのように説得するかと、不安を持っている国民にどのような解決策を提示できるかにある。大きく分けて2つのアプローチが考えられる。一つ目は、変化した情勢と国民の不安を考え、核潜在力を堂々と主張する案だ。非拡散に対する国際社会の信頼をもとに、核潜在力を確保した日本モデルは韓国への適用が難しいため、「核潜在力」という言葉そのものをタブー視するのは止めようということだ。むしろ、潜在力さえ認められない場合、韓国内で高まる核武装への圧力を管理するのが難しくなるという政治的な困難を説得の論理に掲げることもできる。二つ目は、「平和的核主権」のような代案的表現を使う案だ。核武装を直接的に暗示せず、核潜在力の状態を目指す意志を表明する方式だ。ただし、この場合、国際社会の警戒心はあまり刺激しないかもしれないが、国民に対するメッセージが弱くなる。
完璧な代案はなく、いかなる選択も容易ではない。ただし、極端な悲観主義とばら色の期待から、現在の抑止態勢を批判し、核武装を主張することは、進むべき道とは言えない。もっと現実的かつ戦略的に考える必要がある。