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靖国、そして終わらない闘い【特派員コラム】

登録:2025-01-10 01:17 修正:2025-01-10 07:39
東京都千代田区の靖国神社の鳥居=東京/ホン・ソクジェ特派員//ハンギョレ新聞社

 今月8日、東京都千代田区の靖国神社には寒い冬の空気が低く漂っていた。神社の入口、人間の地から神の領域に入る境界である最初の門「大鳥居」に出会う。高さ実に25メートルにおよぶ巨大な入口が雰囲気を圧倒する。小さな横断歩道を渡って2番目の第二鳥居、3番目の中門鳥居…。生と死の境界を3度越えてようやく本殿に向き合う。一般人が行けるのは本殿の前庭までだ。本殿の背後には霊璽簿奉安殿がある。

 本殿には「神体」と呼ばれる鏡と刀が置かれている。靖国に合祀される人々の名簿「霊璽簿」を「神体」に映せば、死者の魂が刀と鏡に宿り、神になるという。「合祀」とは、数々の霊を一カ所に集めて祭祀を行うという意味だが、「神体」に映して合祀されたすべての霊が一柱の神となる。

 よく知られている通り、靖国神社には日本がおこなった侵略戦争や内戦の際に亡くなった人々の魂が合祀されている。1867年の明治維新直後、幕府勢力と天皇を改めていただこうという尊王派との内戦である戊辰戦争(1868~1869年)の犠牲者からはじまった。太平洋戦争の14人のA級戦犯が合祀されたのは1978年のこと。靖国神社のウェブサイトは「ひたすら『国安かれ』の一念のもと、尊い生命を捧げられた方々の神霊が祀られており、その数は246万6千余柱」に及ぶと説明している。

 靖国の奉安殿には、合祀された人々の霊璽簿が置かれている。そこには、日帝強占期の朝鮮人の名前が含まれている。日本の国立国会図書館調査及び立法考査局編「靖国神社問題資料集」(1976)には、靖国神社に合祀された韓国人は2万636人、東京新聞の1995年の記事には2万1181人と記録されている。靖国神社は「その当時、日本人として戦い亡くなった台湾及び朝鮮半島出身者…大東亜戦争終結時にいわゆる戦争犯罪人として処刑された方々なども同様に祀られて」いると説明している。

 家族や先祖が侵略国の戦争犯罪者たちと一つにされてしまった遺族たちは、無念の心情を吐露する。ある遺族は太平洋戦争被害者補償推進協議会とのインタビューで、次のように語っている。「とても悔しいです。靖国神社に合祀された今の状態だと、私の父は日本軍に志願したことになり、また戦犯として祀られていることになってしまいます。父は『天皇』のために命をささげたのではなく、強圧によって仕方なく動員され、命を落としたのです」

 416人の韓国人遺族が靖国神社合祀取り消し訴訟を初めて起こしたのは、2001年のことだ。最初の訴訟は10年かかって三審に当たる最高裁判所まで行ったが敗訴。これまでに韓国人遺族らが3回、日本人遺族が2回の計5回の訴訟があった。日本の裁判所はただの一度も遺族の勝訴としていない。

 今月17日、日本の最高裁判所第二小法廷で、韓国人遺族たちが2013年に起こした訴訟の判決が下される。日本のメディアは「二審の結論を変えるのに必要な弁論が開かれていない」として、遺族側が敗訴した一審と二審の結論が維持されると予想している。しかし、すでに25年近く法廷闘争を繰り広げてきた遺族たちは、再び敗訴しても代々闘い続けるとの立場だ。靖国との闘いは終わっていない。

ホン・ソクジェ|東京特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1177207.html韓国語原文入力:2025-01-09 19:30
訳D.K

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