太平洋戦争中に南太平洋のマーシャル諸島の「ミリ環礁」で発生した、強制動員された朝鮮人の集団虐殺事件をめぐり、真実糾明が必要だとする主張が出ている。
日帝強制動員市民の会は5日、「1942年から45年まで、深刻な飢餓や強制労働、米軍の空襲、日本軍の弾圧によってミリ環礁で死亡した強制動員朝鮮人は218人に達する。『戦争の狂気』を象徴するミリ環礁集団虐殺事件の悲劇を詳細に明らかにしなければならない」と指摘した。
強制動員された朝鮮人たちがミリ環礁に移動したのは、1942年初めのことだった。日帝は釜山(プサン)港で朝鮮人2400人を船に乗せて出発した。船には海軍軍属の身分で全羅南道地域から強制動員された800人も乗っていた。彼らはミリ環礁の飛行場の滑走路の工事や防空壕の構築などに投入されたが、1944年7月からは米軍の海上封鎖によって補給品の供給が途絶え、極度の飢餓状態に陥った。
日本軍司令部は、環礁で孤立した日本軍と朝鮮人に自力で生き残るよう伝えた。この過程で日本兵らが朝鮮人に「鯨肉」だと言って食べ物を渡した。ところが日本兵が渡したものは鯨肉でなく人肉だった。朝鮮人たちは同僚2人が虐殺されたことを後に発見し、その事実を知ることになった。
怒った朝鮮人たちは1945年3月1日、ミリ環礁のチェルボン島で反乱を起こした。日本軍の監視兵11人のうち7人を殺害した。しかし、日本人生存者4人が逃げたため、日本軍の討伐隊が押し寄せ、55人を射殺した。日帝強制動員市民の会のイ・グゴン理事長は「死亡者55人のうち全羅南道潭陽(タミャン)出身が25人で最も多く、残りの方々も全羅南道出身の強制動員者だった」と述べた。反乱の鎮圧過程で朝鮮人218人が命を失った。
日帝強制動員市民の会は、日本人研究者の竹内康人氏とともに7日午前10時30分、光州(クァンジュ)広域市議会1階のブリーフィングルームで「ミリ環礁朝鮮人虐殺」事件を告発する予定だ。竹内康人氏は、この事件の真実糾明と名誉回復のため、ミリ環礁に強制動員された被害者と遺族を探している。
2010年に韓国政府の「対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者等支援委員会」にミリ環礁事件の被害者として受理された件数は315件に達する。しかし、当時の韓国政府は被害者の姓と出身郡だけを発表した。日帝強制動員市民の会は「死亡者218人の名前と、死亡者が住んでいた住所の村まで発表する予定だ。被害者や遺族は連絡してほしい」と述べた。