日本の大阪の在日コリアン密集地域である鶴橋で生まれて育った在日コリアン2世の金聖雄(キム・ソンウン)監督(61)は、キムチを食べられない少年だった。しかし、最も親しい友人の前でもそれを口には出せなかった。金監督が育った1970~80年代の在日コリアンの民族意識は非常に高く、韓国民謡や伝統舞踏が好きで韓国料理を食べることが在日コリアンの基本の徳性とみなされていたためだ。幼いころの在日コリアンの強い連帯感に「違和感を感じてなじめなかった」金聖雄監督が、在日コリアン1世のハルモニ(おばあさん)たちの現在を扱ったドキュメンタリー『アリランラプソディ~海を越えたハルモニたち~』を携え、第25回全州(チョンジュ)国際映画祭を訪れた。『アリランラプソディ』は20年前に出した『花はんめ』の続編だ。
「故・呉徳洙(オ・ドクス)監督の助監督としてドキュメンタリー『戦後在日50年史・在日』(1997)に参加し、在日コリアン問題に関心を持つようになりました。しかし、植民地の歴史から始めて今の差別に到着する流れだけが正解なのか、他のアプローチはできないのだろうかと考えるようになりました」
そのように悩んでいたときに出会ったのが、神奈川県川崎市に住む在日コリアン1世のハルモニたちで、その結実が演出デビュー作『花はんめ』(2004)だった。「想像を絶するほど過酷な年月を生きてきた方たちなのに、あまりにも元気でたくましい姿」に感銘を受けた監督は、映画制作を決めつつ「つらい過去の話は絶対に聞かない」ことを誓った。代わりに「夢は何ですか」と尋ねた。「ただ歌って踊って笑って、今が夢のようだよ」だというハルモニたちのあっけらかんとした返事には、逆説的に彼女たちが生きてきた苛酷な年月がにじんでいた。
元々、金監督は続編『アリランラプソディ』を計画していたのではない。『花はんめ』後の記録として、80歳を超えて文字を学び、沖縄や広島などに旅行にいって同じような年月を生きたハルモニたちと交流する日常をときおり撮影していた。2015年に自衛権行使を容認する安保法制の問題が出てくると、監督のカメラは忙しくなり始めた。「在日コリアンに向けられたヘイトスピーチ集会が、ハルモニたちの住む町内で行われました。極右の集会が開かれるとしても、攻撃される当事者の居住地の目の前で行われるなんてありえない。ハルモニたちの顔が一人ひとり思い出され、私ももうこの問題に向き合わなければ、と決心しました」
おびえるハルモニたちを心配して駆けつけたが、彼女らは監督が初めて会ったときよりも、はるかにたくましかった。それどころか、日本の国会の前に行って安保法制反対のデモをするとまで言った。多くのハルモニたちは体が不自由なので東京まで行くことはできなかったが、彼女たちが住む桜本地域で800メートル行進し、ハルモニたちは「戦争反対」「子どもたちを守れ」と叫んだ。金監督はこの現場をみて、「韓流ブームの勢いで高まる韓国に対する関心のなかで、すっぽり抜け落ちている在日の歴史を撮らなければ」と決心し、『アリランラプソディ』を完成させた。
金聖雄監督はハルモニたちと出会い、不条理な状況にあっても尊厳と品位を失わない人間の偉大さを知った。このテーマは監督の重要な演出の方向になった。1967年に強盗殺人罪で無期懲役判決を受けて29年を獄中で過ごした後、再審で無罪判決を受けたが、獄中でも歌を歌って詩を書き、「不運だが不幸でなかった」と回顧する主人公を追う『オレの記念日』は、2022年に「座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル」のコンペティション部門で大賞を受賞した。
来年の戦後80年に向けて、金監督はヘイトコメントと脅迫に苦しめられながらもヘイトスピーチに対抗する在日コリアン3世を扱った作品を構想中だ。若者たちが「ヘイトスピーチとヘイトコメントの攻撃が集中する象徴的な存在」だからだ。また、「韓国で生まれて育って日本に来た私の両親と、日本で生まれ育ちメキシコに移住した私の娘、そして、メキシコで生まれた2人の孫につながるディアスポラの旅程を描く作品も作りたい」と述べた。