行商人。肩に大きな往診カバンを担いで、もう片方の腕で簡易机を抱えてやってくる私を見て、お年寄りの人たちはおそらくそう思ったのだろう。だから、いきなり聞いてくる人もいる。「なんでこんなことしてるんだ?」 何か欠点のある医者だと思われているのだろうか。そう感じたら先手を打つ。「市内の○○マートの前に大きな病院ありますよね。そこで私、10年間(医者だとは言わずに)院長をしていたんですよ」、「ああ、そうかい」、「(ちょっと威張って)はい、そうなんですよ」、「…でも、何が不満でこんなところでこんなことしてるんだ?」(涙)
もしかしたら、そのお年寄りにとって私は一種の「落ちぶれた」医者なのかもしれない。自分でした選択だが、それは私の立場に過ぎない。田舎の年寄りや他の医者の目には、いや、そんなに遠くを探す必要もなく、私の親の目から見ても、私はとんでもない道へと逸脱した人間だ。その道で病院にたどり着けない苦しみを見る。健康な成人の足で5分の距離にある保健支所まで歩けず、膝の痛みを抱えて家に閉じこもって暮らす年寄りに出会う。
田舎の訪問診療に通うようになって5年になるが、他の田舎地域に私と似たような仕事をする医者が現れたという話は聞かない。突出した個人は偶然現れうる。しかし韓国社会に必要な医師は、そのような個人ではない。普通の医学教育を受けた普通の医師が、システムに逆らわずともここまで来られなければならない。ひとつの集団に属する普通の人間の信念とは、個人の産物ではない。システムの産物である。
大都市でいわゆる「皮眼整」(皮膚科、眼科、整形外科)を開業するという信念ではなく、必須医療や公共放置地域の医者として生きるという信念を持つ「普通の医師」は、決して今のシステムでは現れない。断言するが、医者の数が今の2倍になったとしても、この田舎を訪問診療する医者は必要なだけ増えることはないだろう。
マスコミが医師集団をいくら非難しても、政府が医師免許を取り消すといくら脅しても、そのような医者は生まれない。医者を生み出すのは医者自身ではないからだ。医者を取り巻くシステムが、診療室の外の社会が、医者を生み出すのだ。
一人の医学部生が医者になる過程で、韓国社会は今、どのような役割を果たしているのだろうか。「医者になるために自分の人生と家族中の資源を総動員してここまで来たのに、何の権利があって田舎に行けと言うのか」。集団で休学届を提出した医学部生にこう問われたら、何と答えるのか。専攻医も同じだ。研修を受ける専攻医にとって、患者はしばしば「厄介な存在」となる。患者とは、当直室のベッドでうとうとしている自分を起こして、しきりに何かしてくれと要求する人間だからだ。「私たちが週80時間を超える殺人的な労働に苦しめられ、仮眠を取っている時、社会はいったいどんな介入をしてくれたのか」。専攻医たちに問われたら、韓国社会は何と答えるだろうか。
必須医療領域で働く医者、この田舎まで往診に来てくれる医者は、結局のところ公共医師だ。公共医師を作るためには、医師となる過程がまず公共的でなければならない。この過程が公共的でないのに、どうして公共医師が作られようか。
韓国の医学部生の中で、親に借金する以外に、社会に借金をして医者になる人は何人いるだろうか。そのような医者が一人もいない社会における「公共領域で働く医者」の必要性とは、今この場所の医者たちにとっては別世界の話に過ぎない。結局、田舎と公共医療に医者が行くようにするには、医者になる方式を変えなければならない。
政府は、医師の増員に伴うトリクルダウン効果で既存の医者が押し出され、行き着くところが公共医療となることを内心期待している。医師社会の中で隅に追いやられた人々がやむを得ず選択するのが公共医療なら、その公共医療とは一体どんな姿になるだろうか。
公共医療分野の患者もそのようなことは望んでいない。先日、春川(チュンチョン)から車で1時間以上かかる○○郡で出会った市民の糾弾が、今も耳に生々しくこびりついている。「○○郡に住むほとんどの子どもたちの故郷は○○郡ではありません。春川です。産婦人科が春川にあるからです。でも都市から押し出された医者が来るのは私たちも望んでいません。ここはどん詰まりじゃないんから」
ヤン・チャンモ|江原道の往診医師 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )