尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領のこの2年間の政治は、 政敵に対する復讐と前政権の政策を覆すことで、支持層の恨み晴らしに応えるものだったといっても過言ではない。大統領の最も重要な徳目である敗者を同化させようとする包容力は全く見られなかった。まるで0.7%ポイント差の勝利コンプレックスを補おうとしているかのように、勝者独占現象が韓国のあらゆる分野で横行した。指導者として、見たいものだけを見て聞きたいものだけを聞く確証バイアスを警戒しなければならないにもかかわらず、尹大統領は直言と意思疎通を遮断することで、これをさらに強固にした。自由と共にもう一つの憲法的価値である「国民生活の均等な向上」を期すべきという平等の精神が忘れ去られた。国政全般にわたる検察権力の浮上は、憲法によって禁止された「社会的特殊階級」の復活劇のようだった。大統領執務室からわずか数百メートル離れたところで、約160人の罪のない人々が命を失ったにもかかわらず、責任を取って退く人は誰一人としていないばかりか、心からの謝罪を述べることもなかった。
さらに、事件の真相究明のための特検法まで拒否権行使で廃棄させた。これは、国民の最大の公僕(使い)としての大統領の憲法的責務を放棄したものだ。このために国民が受けたストレスは言葉では言い表せないもので、今回の選挙結果はこのような国民軽視の態度に対して、主権者である国民が審判を下した「勝者の呪い」現象だ。
尹大統領はどのような道を選ぶべきだろうか。大統領と側近たちは、改憲と弾劾阻止線(野党勢力で200議席)を守り、法案の拒否権を引き続き行使できることに安堵しているかもしれない。ひとまず謙虚に国民の意思を受け入れ、改革と変化を追求すると約束してから、わが道を貫く可能性もある。国会で議決されたあまり気の進まない法案を、これまで通り再議要求権(拒否権)を行使して形骸化させることもできるだろう。だが、もはやこのような従来の統治スタイルが通用しないことを、今回の選挙結果で民意は警告している。民意は船を出帆させることもできるが、その船を転覆させることもできることを、最近の憲政史が物語っている。そうなれば、韓国社会は混乱に陥り、不幸な憲政史の二の舞を踏む恐れもある。
40年以上憲法の理論と実務に携わったものとして、大統領に提案したい。改憲を通じて合憲的に任期1年を短縮し、保障された任期内に無理なく国政を遂行できるよう、50年近く続いた現行の1987年改正憲法はもはや全般的に見直すべき時期になった。権力構造だけでなく、憲法前文と総綱の国家アイデンティティの強化や現代型基本権の補完、監査院などの国家機関の改編、教育自治を含む地方分権の強化、経済条項の修正など、国家運営の枠組みを変える改憲の必要性が常に存在する。もし、憲法全般の改正に対する国民的合意を導き出すのに時間がかかるなら、(再選なしの1期5年から)任期を4年に変更し再選を認める大統領制度へと、ワンポイント改憲を進める方法もある。大統領制国家で韓国のように単任制(再選禁止制度)を採択している国は、南米のウルグアイくらいだ。本来、単任制は長期執権による独裁を懸念し、過去の歴史に対する反省として採択された制度だったが、国民の投票で選ばれた大統領を国民が審判する機会を奪うという点で、民主主義の原理に反するのは事実だ。これまでの憲政実験の結果、現行の5年単任制は事実上失敗した制度であることが明らかになった。拍手されながら去った大統領がいないというのは恥ずかしい現実だ。
韓国の憲法は大統領にも改憲案発議権を与えている。大統領の提案で年内に改憲し、憲法附則に2026年5月までと現行大統領の任期を明示し(1年短縮)、同年上半期の地方自治体首長選挙日に大統領選挙を同時実施する。これは現在、地方選挙、国会議員選挙、大統領選挙の三つに分かれている選挙周期を二つに減らすものだ。
任期4年が保障される限り、国会議員も改憲案に反対しないだろう。大統領は残りの任期の間、バランスの取れた人物で内閣を構成し、国政を導いていけば、短縮された1年の任期を相殺することもできる。拍手されながら去る初の大統領になるかもしれない。
最近、韓国社会は理念に偏りがちで破片化した個人と集団の極端な主張(扇動)によって、共同体的連帯が急速に崩れている。実に懸念すべき状況だ。寛容と真実に基づいた共同体精神を憲法的価値として早急に回復しなければならない。大統領はこれ以上確証バイアスに陥って国政を導いてはならない。今は尹大統領の国政運営を牽引してきた荷車の縄を取り替える時だ。腐った縄では走る車をこれ以上コントロールできない。