(1の続き)
機関故障の残された争点
内因説にも弱点が存在する。セウォル号が横倒しになった直後、救助に当たった船舶などが撮った映像を見ると、舵(かじ)が「右舷37度」ではなく「左舷8度」になっている。船調委(セウォル号船体調査委員会)の内部では、このような理由からソレノイドバルブの固着は事故の原因とはなりえないとの意見が出た。そのため船調委の総合報告書は「内因説」と「開かれた案」(外力の可能性を含む)の2つが作成された。
だが、内因説においても、舵の「左舷8度」はありえない現象というわけではない。船調委の総合報告書(内因説)によると、セウォル号には2つの操舵機ポンプがあり、操舵機ポンプの中には2つのソレノイドバルブがある。固着が発生したのは、2番操舵機ポンプのbソレノイドバルブだ。操舵手は当時、船が右に急旋回したので左に操舵したが、舵が言うことを聞かなかったと語っている。その時、操舵室の左の出入り口にいた3等航海士のパク・ハンギョル氏が2番操舵機ポンプの停止ボタンを押したため、ソレノイドバルブの固着の影響が消え、その時にようやく正常に作動する1番操舵機ポンプに左に操舵したという信号が伝わり、舵が左に移動した、という説明が可能となる。
実際にパク・ハンギョル氏は惨事当時、操舵機に異常が生じたことを知らせるアラームが鳴ったため、それを止めようとしたが、誤って操舵機ポンプの停止ボタンを先に押したと検察に陳述している。パク・ハンギョル氏が1、2番操舵機ポンプのどちらのスイッチを切ったのかは正確には確認できないが、この陳述によってセウォル号が横倒しになった直後に舵が左舷8度になっていた理由は説明が可能だ。
惨事の原因は一つではない
多くの人々は、惨事の原因についての疑問を説明してくれるただ一つの明快な答えを待っていた。しかし、304人の命を奪った惨事の原因は一つではなかった。何が沈没を触発したのかについての意見は割れているが、増改築で船舶の復元力が弱まっていたうえ、貨物がきちんと固定されていなかったせいで、船が傾くのが速まった、ということには異論が出ていない。清海鎮海運はセウォル号(1994年に日本で建造)を2012年に購入した際に、船尾に展示室を設置し、客室を増設した。セウォル号の重さは日本で使用されていた時代より239トン増え、そのせいで船の復元力は大きく低下した。
セウォル号に許されていた貨物の積載量は987トンだった。しかし社惨委(社会的惨事特別調査委員会)の調査で、実際には車両185台(584トン)を含む計2214トンが積載されていたことが確認された。これらの貨物はきちんと固定されていなかったため片寄り、沈没を加速させた。監視カメラ(CCTV)の記録映像や航行記録などを確認すると、車両の半数には固定装置が装着されていなかった。
満載排水量が9907トンに達するセウォル号が横倒しになってから101分で沈没してしまったのも偶然ではない。通常、船はそれぞれの空間が独立した構造になっており、各空間は密閉されている(この構造を水密という)。そのため倒れたとしても、浸水していない空間に残された空気の浮力で長く浮いていられる。しかし船調委の調査によると、セウォル号のいちばん下に位置するE甲板の2つの水密扉と5つのマンホールはすべて開いていた。水密扉とマンホールは閉じた状態で運航しなければならない。船調委とマリンのシミュレーションの結果、水密扉とマンホールがすべて閉まっていたら、船が65度に傾いた状態であっても、より長く浮いていられたことが分かっている。救助時間が十分に稼げたということだ。
まだ私たちは真実を100%知っているわけではない。しかし、3回の調査とセウォル号の引き揚げで解明されたことは決して少なくない。船体改造の際に収益ではなく安全を考慮していたなら、貨物の固定さえきちんとしていたなら、水密扉とマンホールをきちんと閉めてさえいたなら、有事に備えた船員の対応訓練が行われていたなら、304人の命は失われずに済んだかもしれない。セウォル号はこの10年間、惨事を防ぐこれほど多くの機会をなぜ逸してしまったのか、繰り返し問いかけている。