本文に移動
全体  > 文化

災害被害者運動10年、セウォル号の闘いは我々を守った=韓国

登録:2024-03-12 06:43 修正:2024-03-12 07:17
4・16セウォル号惨事作家記録団が11日午前、ソウル中区の災害被害者権利センター「ウリハムケ」で開かれたセウォル号惨事10年の公式記録集『520回の金曜日』、『春に向き合った10年間の歩み』の出版記念記者懇談会に出席し、記念撮影を行っている=ペク・ソア記者//ハンギョレ新聞社

 「この本は私たち遺族の人生そのものです。過去10年間にわたり私たちが歩んできた道について、ありのままに市民に話したいと思いました。私たちがこの10年間目指したのは、今日の国民が明日の犠牲者や遺族にならない『安全な社会』を作ることでした。10年間、私たちがこの運動をあきらめなかった理由は、親としての責任感と私たちに寄り添ってくださった市民のおかげです」

 「4・16セウォル号惨事家族協議会」のキム・ジョンギ運営委員長(スジンさんの父親)は淡々と語った。セウォル号惨事から10年を控え、セウォル号惨事遺族たちの惨事以後10年間の道のりをありのままに綴った記録集『520回の金曜日』と『春に向き合った10年間の歩み』(オンダプレス)の2冊が15日に出版される。出版に先立ち、11日にソウル中区(チュング)の災害被害者権利センター「ウリハムケ(私たちと共に)」で開かれた記者懇談会には、4・16セウォル号惨事遺族2人、遺族の兄弟姉妹と生存者3人、4・16セウォル号惨事作家記録団が出席し、記録集の制作過程と意味について説明した。

 『520回の金曜日』は「4・16セウォル号惨事作家記録団」(ユ・ヘジョン他5人)が2022年春から2年間にわたり檀園高校被害者家族62人と市民55人を計148回にわたりインタビューし、惨事関連記録を読み直してまとめた本だ。同書には惨事の場所から最も近い島の東巨次島(トンゴチャド)に遺族たちがテントを張ってセウォル号引き揚げ過程を監視した話から、彭木(ペンモク)港のあちこちで家族の面倒を見てくれた珍島(チンド)の住民たち、孟骨水道(メンゴルスド)の荒れた海の中で被害者たちを引き上げた民間ダイバーたちの話まで含まれている。また、遺族たちが「保護者対策本部」を作り「家族対策委員会」を発足させ、「哀悼の共同体」を作り連帯する過程はもちろん、その中で賠償問題などで互いに分裂し対立する話までそのまま盛り込んだ。

 作家記録団として活動した4・16セウォル号惨事特別調査委員会のカン・ゴン調査官は、今回の記録集作業は極めて難しい作業だったと語った。家族の話をそのまま書き取るわけにはいかず、かといって作家記録団の視線だけで書いてはならなかったからだ。カン調査官は「家族協議会と数回ワークショップを行い、目次や主なキーワード、草稿まで全て一緒に見て討論しながら作った。市民にとって読みやすいように、年代記順ではなく、10年間にわたり注目しなければならない空間や主体、エピソードなどでキーワードを選び12項目の目次を構成した」と説明した。

『520回の金曜日』//ハンギョレ新聞社

11日午前、ソウル中区の災難被害者権利センター「ウリハムケ」で、セウォル号惨事10年の公式記録集『520回の金曜日』、『春に向き合った10年間の歩み』の出版記念記者懇談会が開かれた=ペク・ソア記者//ハンギョレ新聞社

 『春に向き合った10年間の歩み』は、今や20代後半の青年になったセウォル号惨事の生存者、兄弟姉妹、市民の話をまとめた本だ。檀園高校の生存者9人、犠牲者の兄弟姉妹6人、20代の市民連帯者2人、そして檀園高校の生存者が参加した団体などをインタビューし、「セウォル号青(少)年」がこの10年間、どのように生きてきたのかを記録した。2014年当時、2年3組の生存者だったキム・ジュヒさんは「事故以後、私たちはつらいだろうという前提の下、何かを決める時、生存者である私たちに意見を尋ねる人は誰もいなかった。友達の葬儀にも行けず、学校にも戻れなかったが、それは私たちの意思ではなかった。そのような経験を通じて当事者が声を上げなければ、誰も分かってくれないことを痛感した」と語った。キム・ジュヒさんは、同書が惨事から10年が経った今になって話せる内容と、今だからこそ話せる内容がきちんと書かれていると評価した。

『春に向き合った10年間の歩み』//ハンギョレ新聞社

 犠牲者パク・ソンホさんの姉、ボナさんは、若者に対する大人世代の皮相的な視線についても鋭く批判した。ボナさんは「5年前の記者懇談会の際、『セウォル号世代』に対する社会や大人たちの配慮と尊重が必要だと話したが、その後変化があったか振り返ってみても、何も変わっていないと思う」と語った。ボナさんは「MZ世代という言葉で皮相的に青年たちを眺める視線も不愉快だし、もどかしい。実効性のなかった被害者支援政策のように、社会で若者として生きていくうえででも似たような経験をしている」とし、「セウォル号惨事以後にも梨泰院(イテウォン)惨事、五松(オソン)惨事などさまざまな惨事が発生したが、この本を読んで自分の中に残った傷は何であり、私たち皆が何を重視しなければならないのかについて、一緒に考え質問を投げてみてほしい」と話した。

11日午前、ソウル中区の災害被害者権利センター 「ウリハムケ」でセウォル号惨事10年の公式記録集『520回の金曜日』、『春に向き合った10年間の歩み』記者懇談会が開かれた。記者懇談会の場所の壁に記録集の一部が展示されている=ペク・ソア記者//ハンギョレ新聞社

 2冊の記録集は、セウォル号惨事から10年を控えている市民に再び新たな質問を投げかける。災害惨事以後、10年を追跡して記録した作業である点、遺族の人生をありのまま盛り込んでいる点、またセウォル号惨事遺族たちが繰り広げてきた運動を第2の、第3の惨事を防ぐために「韓国災害被害者運動」が鏡にすべき事例とした点で、社会的意味も大きい。この全てが可能だったのは「忘れない」と言ってくれた市民の力が凝縮された結果でもあるが、作家記録団のイ・ホヨンさんは市民にこのように伝えたいと語った。

 「社会的惨事をめぐり、誰かは正義と断罪を語り、誰かは治癒と回復を語りますが、最も重要なのは記録と記憶です。きちんと記録して記憶してこそ、真相究明も慰めもできます。この作業がセウォル号を記憶する小さなかけらになればと思います」

 一方、災害被害者権利センター「ウリハムケ」はセウォル号惨事から10年を迎え、参加型展示「520回の金曜日、そして春」を開く。展示は来月19日まで行われるが、平日午前11時から午後7時まで同センターの展示室で行われる。今回の特別展示は記録集『520回の金曜日』と『春に向き合った10年間の歩み』の内容を基に作られた。展示室には本の中に登場する話を段ボールに印刷して展示し、10人の市民朗読者が読み上げる本の内容をヘッドセットで聞けるようにした。また、展示室の片隅には筆写できる空間があり、檀園高校の学生と「セウォル号世代」たちの話を市民が直接写しみることができる。

 この展示を企画したクォン・ウンビ芸術監督は「セウォル号惨事の葬儀で手伝いをしていたボランティアや10・29梨泰院惨事の目撃者、10年間にわたりセウォル号惨事の家族と市民の合唱を導いている指揮者まで、様々な市民が快く朗読に参加してくれた。朗読録音を行う間、泣かないように何度も練習してきたが、結局涙を堪えきれない朗読者も多かった」として、「惨事後10年が経っても、セウォル号の記録の前でひりひりして熱いものがこみ上げることを改めて痛感した過程だった」と語った。クォン監督は今回の展示の素材はひたすら「話」だとし、セウォル号の話を自分の声に出してみることは、他人の話が私の体を通じて発話する感覚と過程であることを、観客と分かち合いたかったと説明した。

 「4・16セウォル号惨事作家記録団」の展示解説も同時に行われる。21日と28日、来月4日と11日の午後1時~6時まで行われる。展示解説は事前に別途の申し込みが必要。

 出版を通じてセウォル号惨事10年を記憶に留め、記録するための他の試みも相次ぐ見通しだ。「4・16セウォル号惨事10年委員会」企画で、作家10人がセウォル号記憶空間を守ってきた人々の話を盛り込んだ『セウォル号惨事10年の人々』(ハンギョレ出版)、「4・16財団」が毎月16日に発行したエッセイ50編をまとめた『月刊16日』(四季)なども今月中に出版される予定だ。

ヤン・ソナ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/1131803.html韓国語原文入力:2024-03-11 22:15
訳H.J

関連記事