尹錫悦(ユン・ソクヨル) 大統領が16日と17日、実務訪問の形で日本を訪問し、岸田文雄首相と首脳会談を行う。
韓日首脳間のシャトル外交は2004年、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と小泉純一郎首相が互いの国を年に1回訪問する形で始まった。
2011年12月、野田佳彦首相時代、李明博(イ・ミョンバク)大統領の訪日を最後に途絶えた。2012年8月の李明博大統領の独島(トクト)訪問後、韓日関係が悪化したためだ。
任期末に墜落する国政支持率を引き上げるために外交を国内政治に引き入れたという批判が高まった。李明博大統領は国政回顧録で「就任前から任期中に独島を訪問する意志を持っていた」と釈明した。
韓日関係は、韓国の大統領にとって常に難題だった。その理由は次の二つだ。
一つ目の理由は日本側にある。
外交には相手がいるものだ。我々だけがうまくやって解決できる問題ではない。1998年に金大中(キム・テジュン)-小渕(韓日パートナシップ)宣言が可能だったのは、金大中大統領のおかげでもあるが、小渕首相のおかげでもある。
李明博大統領は在任中に韓日関係が悪化した原因を「中国の浮上を前にして米国が日本との同盟を強化する必要性が高まり、これに便乗した日本の右傾化は危険水域に達している」と診断した。一理ある。
二つ目の理由は韓国の国民感情だ。
日本に対する韓国国民の考えと感情は複雑かつ微妙だ。今も同じだ。韓日関係を改善すべきだと考える国民の方が多数だ。
しかし、3月6日に政府が発表した強制動員被害者賠償問題の解決策については「誤った決定」だと考える国民の方が多い。日本の態度が変わらないのに、韓日関係の改善を進めることには多くの国民が反対している。
尹錫悦大統領も事案の深刻性を意識したかのように、大統領室のインターネットホームページにショート動画を2つも掲載した。尹錫悦大統領の努力にもかかわらず、今後韓日関係改善に向けた努力がどれほど成果を収めるかは分からない。それには二つの障害物があるからだ。
まず、野党の強い反対によって世論が悪化している。最大与党「共に民主党」のイ・ジェミョン代表は今回の合意を「三田渡の屈辱(三田渡の盟約:清と朝鮮王朝との間で行われた丙子の乱の終戦講和条約)に匹敵する外交史最大の恥辱であり汚点」だと批判した。民主党議員らは15日午前、龍山(ヨンサン)大統領室前で「尹錫悦政権の対日屈辱外交を阻止のための記者会見」を開いた。
次に、日本の反応が不透明だ。岸田首相は嫌韓感情の強い極右派の顔色を伺わざるを得ない立場にある。中身のない歓待でうまく取り繕おうとする思惑が見て取れる。
極右派は「4年後の韓国大統領選挙で民主党政権が発足すれば、合意がまた破れるのではないか」という疑念をあらわにしている。
このように事態をこじらせたのは尹錫悦大統領自身だ。尹錫悦大統領は韓日関係を必ず改善しなければならないという善意で今回のことを進めたかもしれない。しかし、外交は大統領の善意だけでは成功できない。
成果を出すためには、4年後の大統領選挙で政権が変わっても韓国の対日政策基調は変わらないことを、日本がある程度信頼できるようにしなければならない。そのためには、まず民主党を説得しなければならない。政権が変わっても、今回の合意を守るという政治的約束を取り付けなければならない。
尹錫悦大統領は1998年金大中-小渕宣言を継承すると述べた。金大中-小渕宣言は簡単に作られた合意ではない。金大中大統領の自伝にはつぎのような内容がある。
「『韓日パートナーシップ宣言』の成果は歴史が証明するだろう。私はただ最上の結果を導き出すために『精巧に』取り組んだことを明らかにする。
「私の日本訪問がそれなりの成果を上げたのは、韓国の民主的な政権交代の力だと思う。日本国民を説得し、マスコミを説得し、与野党を説得したのは水平的政権交代の威力だった」
「精巧に」という単語を二重がぎかっこで強調したのが目を引く。金大中大統領は外交分野に他の追随を許さない識見を持った政治家だ。そのような金大中大統領も韓日関係改善のために「精巧に」取り組んだ。マスコミを説得し、野党を説得した。
尹錫悦大統領は一体何をしたのか。すでに手遅れだが、今からでもマスコミと野党を真剣に説得してほしい。
韓日関係の改善はそうしてこそ成功できる。ブルドーザーのように押し進めるだけで、すべてがうまくいくわけではない。