ベトナム戦争の真っただ中だった1973年には、ある南ベトナムからの留学生が日本共産党の機関紙「赤旗」に掲載された広告を田中さんに見せて嘆いた。「インドシナ三国で普及しているフランス語を学んで、インドシナ人民と友好を」と書かれた広告だった。東大に留学していたそのベトナム人学生は、普段も東大の学生たちが自分に植民地の言語であるフランス語で話しかけてくるといい、「東大生は植民地支配について何を学んでいるのでしょうか」と問いただしたことがあった。
そのような経験を通じて確認した「日本人とは異なるアジア人たちとの感覚のすれ違い」が、現在の田中さんを作った。フリーライターの中村一成さんの質問に田中さんが答えた本『「共生」を求めて: 在日とともに歩んだ半世紀』(韓国版:キル・ユンヒョン訳)は、田中さんが関与した在日コリアンの権利闘争の歴史を振り返り、田中さん自身の人生と在日コリアン人権運動の流れを織り交ぜている。韓国人被爆者として日本政府に治療と補償を要求するために密航してきた1970年代の孫振斗(ソン・ジンドゥ)さんの裁判から、2010年代の高校無償化で総連系の朝鮮学校を排除した処分に対する取消訴訟まで、田中さんが一生を捧げて献身してきた在日コリアンの権利闘争の足跡が記録されている。
孫さんは1970年12月、3回目の密入国で逮捕され、懲役8カ月を宣告されたが、結核の治療のために福岡のある病院に入院することになる。治療が終わり刑務所で刑期を終えた後、韓国に送還されるところだった。孫さんから「被爆者健康手帳」制度があるという説明を聞いた田中さんは、関連する法律のどこにも国籍を日本に制限する条項がない事実を確認し、「まずは被爆者健康手帳を申請しよう」と孫さんを説得する。1971年10月に申請したが、福岡県と厚生労働省は手帳を交付しないという決定を下した。田中さんは孫さんとともに決定の取消を求める行政訴訟を提起し、最終的に勝利した。この裁判以降、韓国人被爆者の日本への「訪問治療」が可能になり、日本の領土を離れた日本人も同様に支援を受けることが可能になった。田中さんは裁判に勝った「決定的な要因は、『国籍条項』がなかったこと」だと説明する。田中さんは、自身が関与した在日コリアン権利闘争は「やはり国籍の問題に収れんしてくる」と言い、自身のこれまでの活動についてこう述べている。「国籍というものを手掛かりにして、植民地支配の清算問題というか、最近の言い回しをすればポスト植民地問題の一番の根幹を問うてきたという感じです」
孫さんの事件に先立つ1970年には、日立製作所の入社試験の履歴書に実名ではなく日本名である通名を使って合格した、在日2世の朴鐘碩(パク・チョンソク)さんの入社決定が取り消されることがあった。朴さんはその年の12月に民事訴訟を起こし、原告勝訴の一審判決で日立が控訴をあきらめ、これもまた目的を達成した裁判となった。日本国内で朴さんを支援する団体が結成され、韓国でも日立不買運動が広がるなどの状況が後押しした。「この裁判で勝っても負けても、自分は全然生まれ変わることができたから、むしろ日立に感謝したいぐらいだ」と朴さんは語り、裁判が終わった後には「民族差別と闘う連絡協議会」(民闘連)が結成され、1970~80年代の在日コリアン差別撤廃闘争を牽引した。
1976年には司法試験に合格した在日コリアン2世の金敬得(キム・ギョンドク)さんが司法研修所への入所のためには日本国籍である必要があるとする最高裁の要綱に反発して記者会見を行い、請願書を提出するなどの闘争を行った結果、最終的に勝利した。金さん以前に司法試験に合格した在日コリアン12人は全員日本に帰化したが、金さんは「帰化した私が、いかなる形で朝鮮人差別の解消に関わっていけるでしょうか」として主張を曲げなかった。弁護士になった金さんは1994年、東京都保健所に勤務していた在日コリアンの鄭香均(チョン・ヒャンギュン)さんの裁判を担当した。管理職昇進試験に外国人は受験できないという決定に対抗した裁判だった。約10年も続いた結果、2005年に最終敗訴という結論が出たが、裁判に臨んだ鄭さんが話した内容は、敗訴にもかかわらず大きな響きを与えた。
「差別に負けたくない。屈服したくない。最初にぶつかったものが闘わないと、ほかの人の門を閉ざすことになる。それで決意した」
指紋押捺拒否と枝川朝鮮学校裁判では勝利したが、外国人参政権要求と高校無償化排除の撤回などは、実を結ぶことはなかった。そうした勝利と敗北が交錯する過程を経て、田中さんは悟った。在日コリアンの問題がすなわち日本の核心の問題だという事実を。「戦後の重要な問題というものは、在日コリアンの処遇をめぐる争点から見ると、本当に丸見えです。日本の戦後の平和と民主主義というもの中身が空っぽである様子があからさまに示されていると言えます」。在日コリアンの権利をめぐる争点は「明らかに在日コリアンの人権問題だが、他方では日本社会が抱えている問題でもある」ということが田中さんの判断だ。
一方で、「日本の外国人政策の改善は、きっと韓国にも良い影響を与えることになる。韓国の民主化に寄与するだろう」という金敬得弁護士の発言は、在日コリアンの権利闘争のもう一つの意味を呼び起こす。日本と韓国の両国の民主主義は連動され、相互に影響を与えあうという事実だ。本のタイトルが『「共生」を求めて』である理由はそこにもある。