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[レビュー]「趣味」から政治を抜いたら「趣味」になった

登録:2023-01-07 01:51 修正:2023-01-07 08:10
『趣味は何ですか?』ムン・ギョンヨン著、図書出版トルベゲ、2019年//ハンギョレ新聞社

 人にはそれぞれに答えにくい質問というものがある。私にとっては趣味がそうだ。幼い頃から趣味は何かと聞かれるのがいつも苦手だった。読書? そこまで好きではないと思う。散歩? 趣味と言うにはどうも格が落ちる。コラムには走るのが趣味だと堂々と書いているが、事実ではない。生きるためにしている単なる「ルーティン」に過ぎない。中学生の時、ある友人は私に呆れたように「チャングン、おまえ、一体何をして遊んでるんだ?」と聞いたほどだった。さらにまいったのは、まともに答えられずに口ごもったということ。まったくだ、自分は何をして遊ぶのか。ただ…歩くのか?

 ムン・ギョンヨンの『趣味は何ですか?』を見て息が詰まりそうになったのは、そのような理由からだ。いや、今はよりによって本まで出して趣味を聞くのかと思った。幸いにも(?)そのような内容ではない。本書は趣味の歴史、つまり韓国人がいつから互いの趣味を聞くようになったのかを掘り下げる。文化史研究者の著者によると、朝鮮半島の人々にとって趣味とは、あくまで近代の産物だった。だから趣味の歴史は長く見積もってもせいぜい100年足らずというわけだ。さらに興味深いのは、この短い間に趣味の意味がおおいに変化を遂げてきたということ。

 多くの近代的概念がそうであるように、趣味もやはり日本を通じて入ってきた。英語の「Taste」を翻訳した日本語の「趣味(しゅみ)」をそのまま韓国語読みした「趣味(チュィミ)」はしかし、日本とは少し異なる意味をもって流通した。例えば、韓国初の近代文芸雑誌「少年」創刊号に登場した趣味とは、個人の趣向を表す手段や純粋な楽しみの対象ではなかった。むしろ国の未来を担う「少年諸君」が必ず知っておくべき近代知識に近かった。一つでも多く学び、国を存亡の危機から救おうとした愛国啓蒙期、趣味は富国強兵の道具だった。

 悲しいことに趣味が今日と似たような意味で使われだしたのは、日本に国を奪われた後だった。国民から臣民へと転落した朝鮮人に、趣味に込められた「政治性」は許されなかったからだ。日帝は朝鮮人が政治に関心を持たないように、純粋な娯楽としての趣味を奨励した。植民地の首府京城には博物館、動物園、植物園が作られ、共進会や博覧会が開催されて人を集めた。劇場や映画館、夜店が立ち並び、様々な行事がちゃんぽんになった運動会が学校や地域社会で活発に行われた。1920年代後半になると、都市インテリの間では趣味がすなわち個人のアイデンティティであるかのようにさえ考えられはじめる。

 もちろん、一部に許された「趣味の時代」はそれほど長くは続かなかった。1930年代後半、戦時体制に入るとともに日帝は趣味に積極的に干渉しはじめる。それまでの退廃的で無益な趣味から健全で生産的な趣味への転換を図ったのだ。子どもたちには「めんこ」や「玉転がし」ではなく「農業趣味」を育もうと宣伝し、労働者には仕事を趣味にしろと勧めた。日帝が敗亡するその日まで、より良い労働のための趣味にとどまらない、労働自体を趣味化する試みは不断に続いた。

 解放後は「レクリエーション」や「レジャー」などへと姿を変えてきた趣味は、今やその軌跡を追跡するのが困難なほど多様に分化した。にもかかわらず、あらゆる趣味を貫く共通点があるとすれば、それはまさに何かの「ための」活動だということだ。趣味はそれそのものが目的とはなりえない。富国強兵であれ娯楽であれ自己実現であれ労働であれ、趣味で得ようとするところが明確であってはじめて趣味として認められうる。「趣味は何ですか?」という問いは、だから「あなたの趣味は『何のための』ものですか?」という問いと変わらない。これこそ、私が趣味をこれほど苦手とした理由でもある。

ユ・チャングン|大学院生 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://h21.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/53145.html韓国語原文入力:2022-12-30 14:11
訳D.K

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