ウクライナ戦争は50年前の第4次中東戦争に似ている。
1973年10月6日、エジプトやシリアなどのアラブ連合国がイスラエルを先制攻撃し勃発した第4次中東戦争は、第2次大戦後最大の経済危機を触発した。米国がイスラエルを支援すると、アラブ産油国は米国などに対して石油禁輸を断行し、石油価格は約4倍も急騰した。この時から全世界は、深刻な物価上昇に景気低迷がともなうスタグフレーションという恐慌に準ずる景気低迷に10年間苦しんだ。
オイルショックは、イスラエルに反対するアラブの連帯と大義が表向きの理由だったが、根本となる背景は、戦後の先進国の資本主義経済の終焉だった。第2次大戦後の資本主義経済は、成長と分配が同時に成立する「資本主義の黄金期」だった。これは、戦後再建という需要が成長を導き、第2次大戦を引き起こした不平等に対する反省と、社会主義の脅威を前に、90%を超える最高所得税率などの積極的な分配政策を施行したからだ。戦後の国際秩序を律した米国の覇権と技術・生産・資金力が潤滑油でもあった。
しかし、1960年代中頃に戦後の再建ブームが終息し、ベトナム戦争などによって米国の経常収支赤字が増大すると、物価上昇が深刻化し、ドルの価値が下落した。米国は1971年8月15日、金1オンスを35ドルと交換するという金兌換政策を停止すると宣言した。戦後資本主義の秩序であったブレトンウッズ体制の終焉だった。
米国の覇権と資本主義経済の危機だった反面、ソ連を筆頭とする社会主義陣営が勢力を獲得するとみられた。しかし、歴史はそのようには流れなかった。米国などの資本主義先進国は、石油などの化石燃料を燃やすことで支えていた産業構造を、知識産業中心に再編し対応した。重厚長大の製造業を捨て、金融やサービス、先端産業を中心にして、経済の効率を高めるきっかけにした。産油国のオイルマネーは、金融のグローバル化を促進し、米国の金融支配力を育てた。先進国が捨てた製造業は、韓国などの新興工業国が引き受けるなど、新たな資本主義の分業構造が形成され、グローバル化の基盤になった。
その反面、ソ連は、タイミングよく生じたシベリア油田などの豊かな石油と原油高に酔いしれてしまった。ソ連経済は、すでに1960年代初期から、化石燃料に頼る重工業への偏りと非効率で揺らいでいたが、資本主義体制を強打したオイルショックによって錯視現象が起きた。ソ連は、原油高で資金と資源が増えると、体制革新の必要性を忘却してしまった。東欧の衛星諸国の体制維持と自分たちの第三世界への進出に国力を浪費した。石油価格が下落した1982年に入ると、「潮が引いて初めて誰が裸で泳いでいたのかが分かる」というバフェットの言葉のように、運用の失敗者が誰なのかが明らかになった。ソ連はミハイル・ゴルバチョフが政権を担った1985年から改革・開放政策を実施したが、結果的には時すでに遅しだった。オイルショックは、ソ連にとっては「歴史の残忍なトリック」だった。
ウクライナ戦争とその効果は、オイルショックで触発された新自由主義とグローバル化の終焉を背景としている。この戦争も、石油と食糧の天井知らずの相場を呼び、40年ぶりの物価上昇が全世界を襲っている。この戦争は、2008年の金融危機と中国を封鎖しようとする米国のサプライチェーン再編にともなう新自由主義に基づくグローバル化の萎縮を催促し、国際秩序と国際経済を陣営化あるいはブロック化へ急激に向かわせている。
アラブ産油国の石油禁輸は、米国などの西側を狙っていたが、長期的には、アラブの連帯の崩壊、社会主義圏の没落、西側経済の強化につながった。ウクライナ戦争は、ロシアに対する制裁と中国に対する封鎖強化を引き起こしているが、その被害はロシアと中国だけが受けるのではない。オイルショック前、米国がドルをばらまき浪費したように、ウクライナ戦争前も、米国はドットコムバブルと2008年の経済危機でドルをばらまき、全世界的な資産バブルと現在の物価上昇を触発した。
米国などの西側が、これをクリーンな代替エネルギーの開発の機会にするなど、再び革新のきっかけにできるかどうかについてはいまは疑問だ。資源のロシアと生産力の中国を孤立化し封鎖しようとする試みが、米国の覇権維持に帰結するか、それとも、中国とロシアが主軸となる新たな陣営を誕生させるかどうかについても、わからない。米国がこの戦争を通じてロシアを弱体化させ中国を孤立化させるとしても、それは中長期的には、世界経済に大きな負担を負わせざるをえない。
中東戦争が引き起こしたオイルショックとスタグフレーションが、ソ連にとっての歴史の残忍なトリックだったとすれば、ウクライナ戦争が引き起こすエネルギー・食糧難と40年ぶりの物価上昇は、誰にとっての「歴史の残忍なトリック」になるのだろうか。
チョン・ウィギル先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )