ウクライナと国境を接しているポーランド東部の国境都市メディカには最近、ウクライナへの入国を希望する若者が列をなしている。風前の灯火の運命に置かれた祖国のため、銃を持つと決心したウクライナ人たちだ。
28日(現地時間)、メディカ国境検問所を通過した男性はAP通信に対し、「祖国を守らなければならない。我々がやらなければ誰がやるのか」と話した。また別の男性は、「ロシア人は我々を恐れなければならないだろう。我々は怖くない」と語った。
ポーランドの国境警備隊は、ロシアのウクライナ侵攻が始まった24日から28日までの5日間、約2万2000人が国境を越え、ウクライナに向かったと発表した。
ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領と指導部が、首都のキエフ(現地読みキーウ)の死守を掲げ、決然とした抵抗の意志を示したことを受け、ウクライナ人が複雑に絡んでいる政治的違いを乗り越えて一つになっている。
ロシアの戦車に立ち向かうため、市民が三々五々集まって火炎瓶を作る姿は、この戦争がウクライナを真の国民国家に生まれ変わらせる「覚醒の時間」になっていることを示している。1991年のソ連解体後、独立を手に入れたが、この30年間、特権階級による退行的な政治文化と国論の分裂によって深刻なアイデンティティの混乱を経験したウクライナが、初めて一つになったのだ。
戦争を開始する二日前の22日に発表した、55分間にわたる国民向け談話で、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は「ウクライナは本当の意味での独立国だった伝統がない」とし、ウクライナの国家性を否定した。また「現代のウクライナは完全にロシアが作ったもの」、「(ウクライナは)私たち(ロシア)の歴史や文化、宗教から切り離せない部分」だとし、ウクライナ人の民族的自尊心を傷つけた。
しかし、ウクライナは2004年の民主化デモ「オレンジ革命」以降、欧州連合(EU)および北大西洋条約機構(NATO)加盟への試みでロシアと異なる「独自の道」を進もうと模索してきた。ロシアの牽制で親ロシア政策を進めたヴィクトル・ヤヌコーヴィッチが2010年に政権を握ったが、この路線に対抗して2013年のユーロマイダン革命で弾劾された。その直後の2014年3月、ロシアのクリミア半島併合に続いて発生した東部内戦はウクライナ人が「覚醒」する決定的な契機となった。以後、ウクライナは西欧的な改革を本格的に追求し始めた。
ウクライナ国際共和問題研究所(IRI)の世論調査の結果には、ウクライナ人の認識の変化がよく表れている。「ウクライナが国際的経済連合のうち一つだけ選択しなければならないなら、どちらを選ぶか」という質問に、2012年には43%のウクライナ人が旧ソ連構成国のロシアやカザフスタン、ベラルーシと連合すべきだと答えた。EUを挙げたのは36%に過ぎなかった。しかし、2021年11月の調査では、EUと答えた人が半分を超える58%に達した。あるウクライナ人は「EUへの加盟が歪んだ支配体制を正常で責任ある民主主義に戻すための方法として浮上し始めた」と語った。ゼレンスキー大統領がキエフを取り囲む砲火の中でも「EUへの即時加盟」を必死に求めているのも、そのためだ。
文化的アイデンティティも強化されている。昨年12月、ファッション雑誌「ELLE」ウクライナ版は、初めて表紙にロシア語の代わりにウクライナ語を使用した。ウクライナでは都市のエリート層はロシア語を使うという認識があったが、変化が起きている証拠だと、ウォール・ストリート・ジャーナルは指摘した。ウクライナ版「ELLE」編集長のソニャ・ザボーハ氏は「ロシアのクリミア併合がこうした事態が変化する強い動因となった。 多くの人が態度を変え、(我々が)ウクライナ人であることについて理解するようになった」と述べた。宗教的独立も無視できない変化だ。ウクライナ正教会は2019年、330年間以上属していたロシア正教会の管轄圏から完全に抜け出した。
2014年から2019年までウクライナの外相を務めたパウロ・クリムキン氏はウォールストリート・ジャーナルに「時計の針はプーチンとは逆方向に回っている。国(ウクライナ)が生まれ変わっている」と述べた。ウクライナをめぐる血なまぐさいにおいの中で、世界は一つの国民国家が誕生する荘厳な過程を目の当たりにしているのかもしれない。