日本軍性奴隷制問題解決のための定期水曜デモ30周年を翌日に控えた4日午前、ソウルの旧在韓日本大使館前の平和の少女像近くの追悼空間に(左から)ファン・クムジュ、キム・ブンソン、ファン・グムジャ、キム・ボクトンさんらの顔と少女像の顔が並んでいる=キム・ヘユン記者//ハンギョレ新聞社
1992年に始まった日本軍性奴隷制問題解決のための定期水曜デモが、今月8日に30年を迎える。水曜デモは1991年8月14日に金学順(キム・ハクスン)さんが初めて慰安婦被害事実を公に証言した後、1992年、宮沢喜一首相(当時)の訪韓に先立ち、同年1月8日に韓国挺身隊問題対策協議会(現正義記憶連帯)のメンバー約30人が、在韓日本大使館前で集会を開いたことから始まった。1995年の阪神淡路大震災の時を除き、「水曜集会」は30年間毎週欠かさず開かれている。世界的にも類を見ない最長集会記録だ。
水曜デモは、韓国社会で慰安婦問題をはじめ未だ清算されていない日帝強占期(日本の植民地時代)の過去問題を公論化することに貢献した一方、被害者と世界市民が連帯し、女性の人権と平和を叫ぶ歴史の現場として位置づけられた。平和の少女像も水曜集会1000回目を記念して建てられた。
日本軍性奴隷制問題解決のための定期「水曜デモ」30周年の集会が、5日正午に開かれる。今回の水曜デモでは、被害生存者の映像上映や国内外の市民の連帯発言、公演などが予定されており、参加者は集会を終えて外交部まで行進する。正義記憶連帯は「この30年、水曜日の季節が数え切れないほど過ぎていく間に、平和路には女性の人権と平和が芽生え、連帯の声は全世界に響き渡った。にもかかわらず30年がたった今、水曜デモは過酷で冷たい歴史否定の現実と向き合っている」とし、「新たな30年の扉を開き、無知と無視を乗り越え、日本政府の責任を問うために水曜デモを開いた方々の勇気を振り返りたい。その初心を思い出し、再び水曜デモを力強く続けていきたい」と語った。
30年間の水曜デモの歴史を写真で振り返る。
1993年1月20日、水曜デモに参加した慰安婦被害者と女性団体のメンバーが日本側の真相究明と公式謝罪を求めている=クァク・ユンソプ先任記者//ハンギョレ新聞社
1993年12月22日、第100回水曜デモで日本軍慰安婦被害者たちが日本政府の真相究明と賠償を求めるデモを行っている/聯合ニュース
1993年12月22日、第100回水曜デモで日本軍慰安婦被害者たちが日本政府の真相究明と賠償を求めるデモを行っている/聯合ニュース
第3回日本軍慰安婦問題アジア連帯会議の閉幕日である1995年3月1日の水曜デモで、参加者たちが日本の民間慰労金案の撤回と被害者賠償特別法の制定などを要求している=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社
1998年2月18日の第300回水曜デモが終わった後、キム・ボクトンさんら慰安婦被害者たちが日本の謝罪と法的賠償を要求するスローガンを叫びながら街頭行進をしている=正義記憶連帯提供//ハンギョレ新聞社
2002年3月13日の第500回水曜デモが終わった後、慰安婦被害者たちが日本の謝罪と法的賠償を要求するスローガンを叫びながら街頭行進をしている=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社
2005年6月8日の第660回水曜デモでチャン・ジョムドルさんがビデオで集会を撮っている。挺対協は「これまでメディアに撮影されてきた慰安婦被害者女性たちが被写体の立場ではなく自ら歴史を記録するために集会を撮影することにした」と語った=イ・ジョングン先任記者//ハンギョレ新聞社
2010年1月13日の第900回水曜デモで、慰安婦被害者たちと参加者が日本政府の公式謝罪を求めている=チョン・ヨンイル記者//ハンギョレ新聞社
2011年3月23日の第962回水曜デモでは、東日本大震災の犠牲者を追悼し5週間の募金運動が始まった。募金箱に義援金を入れるキム・ボクトン、キル・ウォノクさん。挺対協は1995年の阪神淡路大震災の時を除き毎週水曜日に水曜デモを行ってきた=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社
(2につづく)
イ・ジョンア記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )