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全斗煥記念物めぐり論争…「歴史保存すべき」v s 「踏んで懲らしめるべき」

登録:2019-06-06 22:09 修正:2019-06-07 09:26
光州市北区の望月洞5・18旧墓域の入り口にある全斗煥氏記念碑。イム・ウィジン牧師が先月初めに撮った写真。一部の文字がすりへっている//ハンギョレ新聞社

 保存か戒めか。5・18旧墓域など光州(クァンジュ)に残っている“全斗煥(チョン・ドゥファン)記念物”が論争の中心に浮上した。

 光州市北区の望月洞(マンウォルドン)5・18旧墓域の入り口には、全斗煥氏の記念碑が土に埋まっている。1982年3月10日、光州を訪問した全氏夫婦が光州では泊まれず、近隣の全羅南道潭陽郡(タミャングン)古西面(コソミョン)のソンサン村で宿泊した後に建てられた記念碑だ。光州全羅南道民主同友会は1989年1月、この碑石を壊して5・18の霊魂が埋められていた旧墓域前に埋めた。案内文には「5月の英霊の怨みの魂をなだめる気持ちでこの碑石を踏みにじって欲しい」と記されている。1997年に国立5・18民主墓地が造成された後にも、民主化のために命を捧げた人々の遺体が埋められた5・18旧墓域を訪れた追悼客たちはこの碑石を踏んで通って行った。

 これまで追悼客の足に踏まれ急速な摩耗が進んだため、保存しようという世論が慎重に起こっている。詩人兼画家のイム・ウィジン牧師は「全氏の碑石を移してきて埋めたというストーリーがあるが、(この碑石は)それ自体に歴史的価値がある。これ以上放置してはなくなる危険がある」という意見を明らかにした。だが、5・18市民軍出身のある人物は「同意できない。踏みにじって懲らしめることも歴史的教育」と反論した。

 最近、光州市西区治平洞(チピョンドン)の5・18自由公園に移された11空輸特戦旅団の全斗煥記念石の処理をめぐっても意見が分かれている。5・18武力鎮圧に参加した11空輸旅団が、1983年に江原道華川郡(ファチョングン)から全羅南道潭陽に部隊を移転し建てられたこの記念石には「先進祖国の先鋒 大統領全斗煥」と記されている。この記念石は先月16日、光州市に所有権が移され、5・18自由公園に移された。5・18団体(遺族会・負傷者会・拘束負傷者会)は3日、この記念石を観覧客が踏んで通るように公園の入り口の土中に埋める計画をひとまず留保した。

光州市西区治平洞の5・18自由公園に移された11空輸旅団全斗煥記念石=チョン・デハ記者//ハンギョレ新聞社

 だが、この記念石を5・18旧墓域の碑石のように土に埋めることをめぐり賛否両論がある。全斗煥記念石を傷つける場合、光州市が返還を推進しているまた別の5・18象徴物を追加で確保することが難しくなる場合があるという意見のためだ。11空輸旅団部隊の中には、5・18鎮圧軍忠魂塔があり、3・7空輸旅団、20師団、31師団などにも全斗煥記念石があると知られている。また、全羅南道長城郡尚武台の無覚寺(ムガクサ)にある全斗煥梵鐘も返還を受けるために曹渓宗側と対話をしているが、はかどらない状況だという。

 キム・フシク5・18負傷者会会長は「記念石を土に埋めるより、全斗煥梵鐘をはじめとする5~6個の全氏関連碑石を移転した後に一カ所に集め、歴史の教訓を与えられる教育的目的で保存し、活用するべきだ」と主張した。5・18を歪曲・蔑視する全氏に対する怒りは理解するが、それもまた歴史の痕跡だということだ。これに対して、5・18抗争当時に市民軍機動打撃隊員だったヤン・ギナム氏は「80年5月27日に戒厳軍に逮捕された人々が連れてこられた旧尚武台営倉跡はきわめて重要な5・18史跡だ。全氏に対する軽蔑や戒めの意味で碑石を土に埋めて踏んで通ることこそ、歴史教育の意味がより大きい」と話した。また別の5・18有功者も「光州鎮圧をうまくやったとして建てられた全斗煥碑石を保存しようとはどういうことなのか」と反問した。

チョン・デハ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/area/area_general/896915.html韓国語原文入力:2019-06-06 19:43
訳J.S

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