李明博(イ・ミョンバク)元大統領が17日、検察の捜査に反発する国民向け談話に乗り出す場面は、逆説的にこれまでつながった長い“レース”のゴールラインが可視圏に入ったという信号のように見えた。四面楚歌に追い込まれた人が最後の反撃のために自ら姿を現したので、いずれにせよ決着がつくのは時間の問題であるわけだ。
長い時間参謀らと相談して完成したであろう李元大統領の「反撃カード」は人々をがっかりさせるものだった。一国を率いた元大統領の言葉にしては品格がなく、実利的な面でも遠くを見通せない浅い“小細工”レベルだった。
彼が発したメッセージの核心は、「自分に向けた捜査が盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の死に対する報復」というものだ。長く説明する必要もないだろう。盧元大統領を死に追いやった捜査は「政治報復」でもなく、ただの「政治的目的」の捜査だった。李元大統領は盧元大統領から被害を受けたものはないため、そもそも「復讐」が成立しない。「狂牛病ろうそく」で迎えた政治的危機を乗り越えようと検察を利用した事件に過ぎない。それでも李元大統領は自分の「悪行」を自ら取り出し、自分もそうだったのだから、当然お前もそうだろうと断定した。彼はソウル市長と大統領在任時代、「私がやってみたからわかるのだが…」という言葉をよく使ったという。今回もまさにそのレベルを脱しなかった。
彼は、在任当時行った誤った捜査で「恨みのこもった」政治勢力が生まれざるを得ず、大韓民国の政治がいまもその後遺症を患っている状況も無視した。むしろ最も大きな責任がある当事者が、過去の傷を再びえぐった。故人を二度殺すことであり、遺族に対する冒涜だ。利ざやが残れば恥や羞恥心のようなものは関係ないというような態度だ。
李元大統領には、朴槿恵(パク・クネ)元大統領が見せた試行錯誤が何の参考にも反面教師にもならなかったようだ。
「国民の皆さま、私はとても申し訳なく、惨憺たる心情でこの場に立ちました。退任後の5年間、数件の捜査が進められ、多くの苦痛を受けましたが、私と共に仕事をした高位公職者たちの権力型不正はなかったので私は非常に幸いに思います」(李元大統領17日談話)
「国民の皆さまにご心配を掛け、驚き心痛めさせたことを恐縮に思います。チェ・スンシル氏は(中略)個人的に意見や感想を伝えてくれる役割でした。大統領府や補佐体制が完備された後はやめました。私としては純粋な気持ちでしたことですが…」(2016年10月25日、朴槿恵前大統領の1回目の国民向け談話)
国民に申し訳ないという曖昧な言葉が登場するだけで、二人とも最初の談話ですでに明らかになった事実すら認めなかった。朴前大統領が「チェ・スンシル」に対してそうだったように、李元大統領も「権力型不正がない」と断言した。捜査で明らかになっている国家情報院の特殊活動費上納の事実や、裁判を通じて認定された国情院と国軍サイバー司令部の露骨な政治・選挙介入など、憲政秩序の無力化犯罪に対して何の説明も、いかなる謝罪もなかった。
参謀たちはどうだかわからないが、自分には決して非がないという態度、真実究明など「法治の問題」を「政治の問題」にすり替える対応方式も似ている。朴前大統領がある瞬間から裁判を拒否して「政治闘争」を宣言したように、李元大統領の談話も最初から法治でなく政治を狙った格好だ。
幸い、彼のあからさまな政治的狙いはこれといった効果がないようだ。李元大統領が狙っていた「保守結集」や「保守層の動揺」が大きく表れている兆しもない。進歩と保守を分ける自分の発言を保守マスコミが特筆大書し、これを根拠にして保守政党が大きく騒ぎいで、世論をつくっていく協業が、彼の在任時のように組織的ではないからだ。腐敗した保守に向けた世論は依然として冷たい。
朴前大統領の不誠実で恥知らずな1回目の談話の後、どのようなことがあったのか、私たちはあまりにもよく知っている。国政壟断捜査の時もそうだったように、李元大統領の周辺をめぐる新しい事実が相次いで姿を現している。李元大統領もある瞬間「2回目の談話」を準備しなければならない情況を迎えるかもしれない。いや、今からでも率直な内容の2回目の談話を準備するのが、国民に対する最小限の礼儀ではないだろうか。